六甲山と瀬織津姫 158 続・空海の如意宝珠

四天王寺で空海の修行像を仰いだときの印象は、
数ヶ月ほど経ったいまも、胸に刻まれている。


石鳥居の西門を見通す極楽門の南に、それはある。
空海は延暦6(787)年、この四天王寺に住み、
難波の海に沈みゆく夕陽を拝して、西方極楽浄土を
観想する日想観(じっそうかん)を修したという。
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修行像の空海は錫杖を持っており、その錫杖に
結ばれた紐は、手前の地面に立つ錫杖に繋がっている。
こちらは触ることができ、振るとシャリリンと鳴った。
空海の錫杖も共鳴しているように感じられる仕組み。
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鳴らし終えて振り向くと、目の前に「一回一誦」と
いう装置があり、輪には般若心経が刻まれていた。
これを一回回すと般若心経を一回唱えたことになる。


視線を上げると、大木に半ば隠れている五重塔と、
その左に金堂の屋根が見えた。そのときだった。
空海は物部守屋と向き合っている…という気がした。
実際、五重塔と金堂の間の東西軸の先に守屋祠はある。
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その配置が意図されたものかどうかは知らないが、
空海と物部守屋の関係は、やがて六甲山の瀬織津姫
に繋がっていくのかもしれないと、ふと予感した。

空海の父方は、讃岐(香川県)の佐伯氏だが、
空海の母方一族は、阿刀氏(あとうじ)といい、
物部氏と同祖の伝承を持つ古代氏族だった。

跡部神社(現・大阪府八尾市亀井町)の鎮座する
河内国渋川郡あたりを本拠としていたと言われる。

跡部神社。現在の祭神は天照皇大神、阿刀大神、
八王子大神だが、創祀は饒速日命だったと伝わる。
写真は「なにわ大阪を作った100人」より拝借。
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阿刀氏(跡部首)は饒速日命の天の磐船の船長
・天津羽原を祖とし、大和川の要所で水運を掌握した。
(※写真はNHK『歴史秘話ヒストリア 聖徳太子の棺』
  太子道のコーナーより拝借)
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空海の母方にあたる阿刀氏について、谷川健一氏
は『古代の地名』に次のように記した。(要約)

☆阿刀という氏姓の元は安曇で、朝鮮半島との
海運を掌握した安曇氏の本拠は志賀島だが、移動
するとともにその姓も変化した。奈良や近江では
安堵(あど)に、難波や大和では阿刀になった。
☆そこに部がついて、阿刀部(あとべ)になった。
☆天の磐船の船長は阿刀部首の祖(※天津羽原)
であり、梶取りは阿刀造の祖(※天津麻良)である。
☆大和川の水運も、阿刀氏(安曇氏)が握っていた。
☆蘇我氏と戦った物部守屋は、逃げて跡部に行った。


すると、蘇我馬子が物部守屋を攻めた所と言われる
「阿都の館」は「阿刀の館」とも考えられるわけか。

物部氏とはもちろん、阿刀氏と安曇氏が同族という
ことは、如意宝珠を考えるうえで、かなり重要だ。

例えば、三韓遠征した神功皇后に「珠」を授けたのが
安曇磯良だったのは、綿津見神の子孫だったからだ。
「珠」とは、龍宮の龍神から生まれ出たものだった。

それならば、
空海が唐で恵果阿闍梨から如意宝珠を授かったのも、
安曇氏同族の血を受け継いでいたからではないか…。


by utoutou | 2018-02-04 12:03 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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