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六甲山と瀬織津姫 159 空海の宇賀弁財天

「宇賀弁財天は、どこに祀られていますか?」
空海の出自を巡るあれこれを考えていたとき、
語り部から、そんな電話がきた。
「えーと、各地のお寺に祀られているでしょうけど…」

彼の脳内には、宇賀弁財天の像が現れているらしい。
頭頂に鳥居を戴き、蛇に巻かれた翁が顔を出して
いる弁財天。あの翁が宇賀神らしいが、語り部は、
「その宇賀神とは、どんな神?」と、問いかけている。


電話を切ってから、
「こちらが宇賀弁財天ですよね」と、画像をメールした。
興福寺(奈良市)の三重塔に祀られているという
「窪弁財天 坐像」をネット上から探し出して…。
※興福寺HPの国宝画像は転載不可ということで、
興福寺国宝特別公開展('11年)のポスターより拝借。
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窪弁財天は、何年か前、語り部に那覇市の首里末吉の
拝所に掛かる「弁財天と7人の日巫女」の掛軸を教えて
もらったときから、よく似た弁財天として記憶していた。


首里の掛軸は、聞得大君御殿にあったと伝わる掛軸と
同じ絵柄で、おそらく現存する最後の一幅と言われる。
あのとき、語り部は言っていた。
「弁財天の頭上の男神は、天御中主神に視えます」と。
六甲山と瀬織津姫 159 空海の宇賀弁財天_a0300530_13522166.jpg





そんなわけで、興福寺の窪弁財天像を思い出した
 のだったが、この弁財天は空海にも所縁が深い。

興福寺のHPに以下の解説があった(要約)。
☆南円堂建立のとき、空海が完成を祈り天河弁財天
に参籠した際に、宇賀弁財天を感得した。
☆そこで、興福寺に窪弁財天として勧請した。
☆毎年7月7日に特別公開され、
法要が行われる。


ところで、興福寺は、室生寺とも所縁ある寺である。
室生寺の草創に関わったのは、興福寺の僧侶だった。
そして、室生寺創建のきっかけは、皇太子の山部親王
(後の桓武天皇)の病気平癒のための祈願だった。
桓武天皇は、後の淳和天皇の父…。

ここのあたりから、何かザワザワと胸が騒いできた。
室生寺と言えば、龍穴、龍神、空海の如意宝珠…。
弁財天が持つ如意宝珠は「龍より出る」と言われる。
どうやら胸騒ぎの元は、その龍神にあるらしい。

そう言えば、この時代はひどい干魃が続き、
空海は国家鎮護のため雨乞いの祈祷を繰り返したと
いうが、ことに有名なのは、淳和天皇の勅命で行った
神泉苑での祈雨である。ときは天長2年(824)年、
空海は北インドの善女竜王を勧請して国中を喜ばせた。

824年…。それは浦島太郎が龍宮から帰還した年。
この一致するタイミングは…そうだったかのか。
空海の雨乞いの逸話は、龍神の甦りを暗示している?
そして、龍神とは天御中主神のことではなかったか…。


by utoutou | 2018-02-09 18:47 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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