六甲山と瀬織津姫 161 琉球弁財天

京都では真言宗総本山・東寺(南区九条町)へも。
ちょうど国宝・五重塔の初層内部が公開中だった。
九条通りの南大門から境内へ入った。
正面は金堂、その奥に講堂と食堂が一直線に並ぶ。
a0300530_07430637.jpg




境内入って右(東)、五重塔と八島社の鳥居が
ミスマッチする景観には、いつもながら惚れ惚れする。
祭神は空海が崇めた地主神とも大己貴神とも言われる。
a0300530_12400869.jpg





五重塔の内部を拝観後、大師堂近くの三面大黒堂へ。
実はこちらが、この日、東寺を訪れた主な目的だった。
三面大黒天は拝観できないというが、ともかく目指す。

三面大黒天の説明板が立っていた。要約すると…。
大黒天(中央、大地の神)、毘沙門天(左、財宝の神)、
弁財天(右、インドでは河の神)という三体の天神
が合体したものが三面大黒天で、お大師様の作である。
我々の誓願を満たして、無上の大功徳の霊験がある。

a0300530_07431111.png




三面大黒堂に足が向いたのは、ある「事件」が発端だ。
関西への移動中にネット検索していて、琉球の
弁財天についての「新説」が拡散していると知った。

曰く、琉球王朝時代の聞得大君御殿には、三面六臂の
弁財天を描いた掛軸が祀られ、聞得大君が崇めていた。
それは三面大黒天とも考えられるという説もある、と。

当ブログ記事「弁財天は聞得大君の先祖」にリンクも
貼られており、「これは事件」と思わずにいられない。
天御中主神と七人の日巫女」との2本の関連記事とは
 別のところで、琉球弁財天が一人歩きを始めた模様。


さて、東寺の秘仏・三面大黒天はこんなお姿である。
大師堂でお札を求めたが、弁財天はよく見えない。
a0300530_07434621.png




写真集『東寺の天部像 東寺宝物館』から拝借した
三面大黒天立像(江戸時代)。(解説を以下要約)。
☆本来、(三面)大黒堂に祀られていた。
☆秘仏で六十年に一度ご開帳される。
☆大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した「出世大黒」。
a0300530_15420732.png




いっぽう、いわゆる「琉球弁財天」として拡散している
女神の像は下のイラスト。 ↓ 三面六臂で、太陽と月、
蛇と宝珠を手にしている。題名は『天孫神の像』。

イラストは『江戸期琉球物資料集覧』より拝借。
でも閲覧可能だが、原典は江戸の戯曲家・大田南畝の著
『琉球年代記』(天保3、1832年)付録「琉球雑話」。
a0300530_15393793.png





ただし、大田南畝は、この「天孫神」が聞得大君御殿
に祀られていたとは記していない。いっぽう↑解説文
には「善興寺」と、具体的な寺名も見える。

(以下要約)
☆善興寺に天孫神なる三面六臂の女神像があった。
☆これは天神という神、シネリキヨとアマミキヨの
長女クンクンなり。土俗あやまりて、これを弁財天
と云うのであれば、像は図のごとし。

「土俗あやまりて」の意味は、天神=天孫神
=弁財天という「通説」を誤りだと言っているのか。
いずれにしろ、確かに三面だが、大黒天ではなさそう。
 
三面六臂の弁財天を崇める琉球の「弁財天信仰」
については、冊封使による見聞録がいくつかあり、
南畝は、『東西洋考』『中山伝言録』『琉球国志略』
を参考にして、天孫神の記事を書いたようだと、
『史料に見る琉球の弁財天信仰(南島史話42号)』
(真喜志遥子・著)は記している。が、こちらでも、
聞得大君御殿に祀られていたとの記述は見当たらない。

ネットで「天孫神」の神名と画像だけが拡散され、
「聞得大君御殿に三面六臂の弁財天が祀られていた」と
の新説が自然発生、やがて一人歩きするに至ったものか。
というのが、「琉球弁財天」を追跡してみての結論…。


実は勢いで(笑)、大阪・四天王寺も再訪した。
三面大黒天を本尊として祀る三面大黒堂がある。
こちら社務所で見た木彫りのレプリカ三面大黒天。
a0300530_08095690.jpg




さて、関西から戻り、「琉球弁財天」こと「天孫神」
を思い出していると、語り部経由でメッセージがきた。

「天孫神でなく天祖神を追いなさいということです」
「天祖神…ですか?」
「沖縄では、大神(うふがみ)とも呼ばれる神です。
ヤマトの天照大神のモデルになった太陽神でもある」

また、ややこしい話になってきた。私は聞いた。
「では、天孫神とはどんな神様だったんでしょう?
左手に太陽、右手に月を持っている女神って…」

語り部も聞いた。
「善興寺は何宗のお寺で、どこにありましたか?」
「真言宗ですね。天使館(冊封使の宿泊所)の近く。
現在の那覇市西消防署の南側にあたりますかね」
「それなら、冊封使の記録しかないのも分かりますね。
天孫神とは、三面大黒天と荒神と弁財天が習合した姿
 だと思います。あの辺りは、荒神信仰が盛んでした。
  私が見た扁額の三宝荒神は太陽と月を持ってましたよ」

つづく…。









by utoutou | 2018-02-25 14:22 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://mintun.exblog.jp/tb/238351090
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 六甲山と瀬織津姫 162 続・... 六甲山と瀬織津姫 160 神泉... >>