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六甲山と瀬織津姫 163 役小角

阪神神戸線・御影駅で降りてから徒歩10分ほど。
綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)を訪れたのは、
もはや旧聞に属するが、関西に滞在していた1月中旬。

あの頃は、聖徳太子ゆかりの「斑鳩の里(記事はこちら)」
について書いている最中だったが、頭の中にはいつも、
聖徳太子は奈良時代の呪者・役小角や空海と共に在った。

時代や身分は違えど、いずれも歴史上の「著名人」。
六甲山に縁故の深い人物というところが共通点だ。

昨年の記事「海神の砦」にも書いたことだったが、
空海(774〜835年)が建立した六甲山・鷲林寺の
地には、役小角(634〜701年)も訪れていたという。

役小角は、甲山の南の目神山で弁財天を感得し、
 六甲修験道を開基、奈良・天川近くの洞川に住む
 四鬼氏を唐櫃に移住させて、六甲山を守護(掌握)した。
 唐櫃の多聞寺は、六甲比命神社周辺を奥の院としている。


いっぽう、
こちら綱敷天満神社には、聖徳太子が四天王寺を建立
した際、礎石用に御影石を切り出したとの由緒がある。
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聖徳太子・役行者・空海、海神系と言われるこの聖人
たちは、揃いも揃いなぜ六甲山で女神を感得したのか。
神功皇后が廣田神社に瀬織津姫を祀ったという事績
よりもはるか昔の縄文・弥生の時代、この六甲山には
一体どんな人々が生活し、どんな祭祀を営んでいたのか。

その祭祀の中心に、おそらく原初の瀬織津姫がいる
…と、実はかねてから考えていたのだった。


綱敷天満神社の祭神は、略記パンフレットによれば、
菅原道真大神、別雷大神、倉稲魂大神、天穂日命。

菅原道真との所縁は、次のように記されている(要約)。
☆菅公は、讃岐国守として下向された折に参拝した。
☆同じく天穂日命の子孫でこの地を治める山背王に会う。
☆太宰府に左遷のみぎりにも立ち寄ったが、
山背王は石の上に綱を敷き菅公を迎えたと伝わる。
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本殿の北東に、天神社という小祠があった。
祭神は別雷大神、聖徳太子。神徳は厄除開運・鬼門方除。
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いっぽう、境内の北西には草壁稲荷大明神が鎮座。
「草壁」は「日下部」に通じ、丹後や但馬の国では鉱山開発、
主に銅の採鉱により、抜きん出た豪族となったようだ。
日下部氏は古来、ここ摂津西部でも活躍していたのか。
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草壁稲荷大明神の横には、松尾社が鎮座している。
祭神は、大山咋命、金山彦命、住吉神。
金山彦命が祀られる以上、ここには鉱脈があったようだ。
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さらなる手掛かりを求め、スマホで地図を開いてみる。
神社から北へ、1.5kmほど石屋川沿いに遡ると、
神戸市灘区桜ヶ丘町に着くが、なんと六甲山の南斜面
にあたるその地から、銅鐸が出土しているのだった。

銅鐸…そうだったのか。
銅採掘、日下部氏、御影駅と連想して思い至ったのは、
やはり御影駅の最寄りに鎮座する弓弦羽神社である。
祭神は熊野大神、そのシンボルは八咫烏…。

八咫烏に化身したのは賀茂角身命を始祖とする一族。
そして、賀茂氏は役小角の出自である。
また、賀茂氏は銅鐸祭祀者だったという説がある。
役小角と六甲山は、銅鐸を通じても関連していたのか。









by utoutou | 2018-03-13 10:03 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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