六甲山と瀬織津姫 164 銅鐸を崇める神社

綱敷天満神社(灘区御影)の社殿はどこを向いている?
阪急電車の御影駅からgoogle mapを頼りに南西方向
に歩いて ↓ この裏門というか、裏参道に着いたので、
六甲山を向いているのは分かったが、さてピンポイントは?
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鳥居を潜って境内に入ると、拝殿と本殿の横に出た。
写真右端にチラッと写るコンクリートは、高架道路である。
社殿の向こうを流れる石屋川の上に掛かっているようだ。
その石屋川は六甲・坊主山を源流として南へと流れている。
すると社殿は、高架道路と並行して建っていることになる。
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改めて地図で、高架道路と神社の配置を確認すると、
やはり社殿は、銅鐸出土地の桜ヶ丘を向いている。
私たちが参拝すると銅鐸のクニを拝していることになる。
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由緒にも、「銅」と縁の深い神社だと記されていた。
【歴史】
〜覚美鄕(かがみのさと)(記・和名抄)御影の起こり
は、古代この辺りに銅細工に関わる技術者集団
「鏡作部」がいたと推測されることに由来します。
→「社宝の古い御神体には銅塊が祀られていた」〜

また【鎮座地】は、中世までは山の上だったという。
〜御影町北部の山麓は往古、竜神岡と呼ばれ、その中
の天神山(現・御影山手)の荘厳な祭壇地に太古は祭祀
されており、この地域一帯の総鎮守でありました。〜

それにしても、この地に「鏡作部」の集落があったとは。
往古の鏡は、銅にスズや鉛などを加えて作られたという。
鏡作部の祖神は八咫鏡を造った石凝姥神(いしこりどめ)、
紀伊国一宮・日前神宮・国懸神宮の祭神である。

しみじみと、
語り部のあのときの見立ては正しかったのだと振り返る。
琉球を出た古代海人族は、紀伊から六甲へ移動したと思う
と語り部が言い、そのことをブログに書いたのは1年半前。

それを「ヒミコの鏡」など一連の記事にしたのだったが、
当時、石凝姥神を祖神とする一族と、一族の六甲山に
おける居住地を、探し出すことはできなかった。


いまに残る神事にも、その人々の信仰が偲ばれる。
「綱打神事(つなうちしんじ)」は↓こちらの鳥居が舞台。
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鳥居をズームアップすると ↓このような仕立て。
注連柱を巻く大綱は龍、刺した8本の矢は八色雷公を表す。
 右端は龍神の頭、左端は尻尾…すると、これは八岐大蛇か。  
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由緒から、【綱打神事】を以下に要約してみる。

☆この神事は、別雷大神縁起に伝わるもの。
 ☆天道根命の旧記に基き、後鳥羽院の時代より開始した。
☆注連柱全体が祓具であり、諸々の罪穢れを祓い浄める。
☆ここを潜り抜ければ、1年間無病息災に暮らせる。
☆現在でも、氏子・崇敬者の手で毎年続けられている。
☆「かみなり神事」とも呼ばれ、1月8、9日に斉行する。


綱打神事を伝える縁起に残る別雷大神とは、
賀茂別雷大神(かもいかづちおおかみ)のことである。
その歴史ある神事が、天道根神命の旧記に基づいていた。

神事に名を残す別雷大神は、賀茂氏の祖神である。
そして天道根命は、紀氏の祖神である。両氏の
痕跡が、銅鐸出土地のわずか1.5㎞南に残っていたとは…。


by utoutou | 2018-03-19 13:31 | 瀬織津姫
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