六甲山と瀬織津姫 178 やはり物部氏か

話は「箕面弁財天」より続く。瀧安寺を出て
滝道を歩いていると、語り部からの電話が鳴った。

「その箕面川は、何という川と合流しますか?」
「確か、伊丹あたりで猪名川に合流するかと…」
「その猪名川は、イナべという一族と関係ありますか?」
そんな会話を交わした。

またまた難しいことを…と思いつつ、私は言った。
「猪名川と言えば、兵庫県に猪名川町がありますね。
そこに昔、多田銀銅山というのがあったらしいです」
語り部は「なるほど」と呟いたが、話を変えた。
「イナべ神社というのも、ありますか?」
「どこにですか?」
「三重県だと思います」
「三重県…!?」

電話を切って猪名部神社(三重県員弁郡)を調べる。
主祭神・伊香我色男命(いかがしこおのみこと)は、
「員弁(いなべ)の始祖」でもあると由緒は記している。
伊香我色男命とは饒速日尊の六世孫。物部氏である。

「箕(み)の面は籠目(六芒星)に編まれていた」
「それが箕面の地名の由来では」という語り部の見立て
が思い出される。やはり箕面には物部氏がいたのか。

「猪名川町、箕面、員弁が、物部氏で繋がっていた?」
「はい、可能性は少なからずあると思います」

そんなこんなの道草をしながら辿り着いたのは、
箕面山・聖天宮西江寺(しょうてんぐうせいこうじ)。
お寺なのに鳥居がある。神仏混淆時代の名残りのようだ。
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聖天宮西江寺【略縁起】(境内の説明板を要約)
☆斉明天皇4(西暦六五八)年、役行者小角が開基した。
☆箕面大滝で苦行した行者に大聖歓喜天が出現した。 
☆そこで、この地を日本最初の霊場とした。
☆摂津国豊島郡片手村は、これより箕面村と称した。
☆聖武天皇の勅願で、摂津国神宮寺と称した。
☆明治時代の神仏分離により現在の山号に改称した。
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本堂・大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)。
伝承によれば、役行者が箕面大滝で出会った龍樹菩薩
とは、本邦で初めて出現した歓喜天のことで、いまも
西江寺の境内に残る対談石が、そのときの「舞台」。
龍樹菩薩は役行者に言ったという。「この山は
自分の領地だが、お前に与えるから伽藍を建てよ」と。
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本堂前に掛かる提灯には、大根と巾着が描かれていた。
大根はクロスしており、巾着は中央を紐で絞った絵柄。
拝殿の壁や線香の炉にも、大根と巾着の装飾がある。
歓喜天は、象頭人身の男女が抱き合った姿をしている。
つまりは、大根と巾着が暗に物語るように、陰陽二神か。
歓喜天の本地は、女神を身に隠した男神であるらしい。
そのためか、歓喜天と十一面観音の真言が掲げてあった。
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初参拝のため馴染みの薄かった歓喜天も、実は男女一対神
と捉えると、途端に神像のイメージが描きやすくなった。
例えば、瀬織津姫と天照大神、瀬織津姫と猿田彦大神、
またはヒコとヒメ、イザナギとイザナミ、琉球では、
イキガ(男)とイナグ(女)、ウミキ(王)とウミナイ(妃)。
この箕面山の地主神とその妃神ということなのだろう。
こちら弁財天堂の左奥には、白龍歓喜天の小祠があった。
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というわけで、
役行者は地主神を祀る先住の民と融合したようだが、
その一族は、はたして「イナベ」と関係があるのか…。

語り部の透視が冴えていたこの日、再び電話が鳴った。
「箕面川より東の方向に、巨岩の御獄がありませんか?」


by utoutou | 2018-07-03 18:13 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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