六甲山と瀬織津姫 182 再び箕面へ

沖縄から東京に戻った数日後、日帰りで箕面へ。
いくつかの興味深い伝承や考察に出会ってから、
是非また訪れたいとそのチャンスを待っていた。

その伝承とは、「三韓遠征から帰った神功皇后は、
箕面の山中(如意谷)に如意珠を埋めた」というもの。

そして考察とは、弥生時代中期に箕面の東に位置する
「千里丘陵から、西は保久良神社(神戸市東灘区)までの
広範囲にわたって、イナ王国があった」というもの。

どちらも私にとっては初耳だったが、もしそうならば、
箕面の地を抜きにしては六甲山は語れないことになり、
当シリーズのタイトルも「イナ王国と瀬織津姫」と改め
なくてはならない可能性があるわけで、事は重大だ。


週末の箕面は最高気温が37,1度という猛暑日。
まずは阿比太(あびた)神社(大阪府箕面市桜ヶ丘)へ。
お昼どき、木陰のある鳥居の下では工事関係の方たちが
休憩しておられたので、写真は撮らなかった。
参道には木陰があったものの、拝殿前の聖域は灼熱…。
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阿比太神社。
 延喜式神名帳(925年)に見える式内社。
由緒に曰く、祭神は素戔嗚尊。応神天皇2年の奉祀。
語り部は、「この地が真実の蘇民将来の発祥地だろう」
と言うが、この件については改めて考えることにする。
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次に訪れたのは、箕面市郷土資料館(箕面市箕面)。
博物館ではない。駅近のショッビングセンターの地下に
資料館があり、さりげなく銅鐸が展示されていた。
聞けば、レプリカではなく正真正銘の本物ということだ。
如意谷銅鐸は高さは86㎝、3世紀のものとされている。
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箕面市如意谷で散歩中の市民によって銅鐸が発見
されたのは、昭和41(1966)年の元旦のことという。
団地造成工事中にブルドーザーが掘り起こした銅鐸
は、すんでのところで全壊を免れて考古資料となった。
如意谷銅鐸は、人為的に横向きに埋納されていた。
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この日、最後に訪れたのは、
為那都比古(いなつひこ)神社(箕面市石丸)。
祭神は為那都比古大神、為那都比売大神。

箕面駅からタクシーで東へ10分、徒歩だと30分以上。
北千里と箕面の中間に位置。つまり千里と箕面は地続き。
また、為那都比古神社の北北西へ徒歩10分で如意谷。
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この為那都比古神社、その旧社地の大宮寺、
そして、現在も巨石として有名な医王岩、そして
銅鐸が出土した如意谷の位置関係はこのようになる。
※山内玲子著『実在したイナ王国』より拝借
(為奈山とは現在の箕面山のことを指しているようだ)
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箕面の医王岩を中心とした一帯を、山内氏は、
イナ王国の祭祀場と記したが、話は冒頭の伝承に戻り…。

ではなぜ、この地に如意珠を埋めたという神功皇后の
伝承は生まれたのか…。いま、その謎に強く引かれる。
「まさにそれが分かれば、アマミキヨの足跡は紐解けます」
語り部もそう言うのである。





























by utoutou | 2018-08-09 21:32 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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