六甲山と瀬織津姫 190 美奴売の神は豊受姫

三草山の古名は美奴売(みぬめ)山だったという。
敏馬神社のいわゆるルーツがここにある。

美奴売山に住む龍神は「美奴売の神」と呼ばれた。
水の神=弥都波能売神=月の神。豊受姫でもある。
美奴売神を祀っていた「龍女」とは、一説に、いまも
岐尼神社(大阪府豊能郡能勢町森上)に祀られる
 枳根命(きねのみこと)だと伝承されている。

岐尼神社へは、三草山の山麓を目指す前に参拝。
能勢電鉄の山下駅からバスで20分、車窓から、
「大阪府のてっぺん豊能町」という幟旗を何度か
目にしつつ、森上で降車。徒歩3分ほどで神社着。


どれだけ古いのかと思わせる鳥居の柱裏には、 
右「延享元年」、左「九月氏子中」と見えている。
つまり、274年前(1744年)に建立された鳥居か…。
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由緒ある延喜式内社も、府道602号線沿いに鎮座。
神社前の道路を車が行き交う。拝殿前からの眺め。
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岐尼神社は、
由緒書きによれば、創建が782年(以下要約)。
☆祭神 天孫瓊々杵尊、中臣氏の祖神・天児屋根命、
大名草命の子・枳根命、そして源満仲。 
☆瓊々杵尊と言えば、天孫降臨の神話にある神だが、
ここにも天孫降臨の説話がある。亦の名は杵大明神。
☆岐尼神が南の小丘に降臨したとき、土民は臼の上
に杵を渡し、荒菰を敷いて迎えたという。
☆その神が天降った山は、天神山と呼ばれている。
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「天孫降臨」「土民」「臼と杵」「荒菰」…。
そこから窺い知れることは、少なくとも大和神話とは
異なる説話がこの地には残っており、先住民と渡来民
とが無理なく融合したことを物語っているようだ。

ひょっとすると、もともと同族だった人々なのか?
臼杵と荒菰(茅を編んだ簾)を使っての歓迎ぶりから
は、いずれも産鉄稲作民だったことが窺われる。

語り部が、常々言っていたことが思い出される。
「この国の神々には、国津神と天津神だけではなく、
  元津神がいたことは、隠されていると思います。
   それが本当の海(天)族、アマミキヨ族ではないか」  


さて、創祀当初の主祭神だったという
大名草命の子・枳根命は「美奴売の神」を祀った。

大名草命は紀氏の祖とされる天道根命五世孫で、
武内宿禰の二代先祖ということらしいが、ならば
神功皇后と美奴売神の関係も、次第に明らかになる。

神功三韓遠征のための船は美奴売山の木で造った。
 また凱旋した後、その女神は敏馬浦に祀られた。
女神(月神)とは、神功の審神者(さにわ)だった
武内宿禰の母系の始祖神でもあった。

名草氏と武内宿禰の系譜は、以前こちらにも書いた。
名草とは、日前国懸神社(和歌山市)の鎮座地の
旧地名だが、その名は古来「奈具佐」とも記された。
奈具佐は安曇と同族で、三韓遠征の随行して活躍した。

また「名草」は「菜草」とも考えられ、それは
「豊葦原の瑞穂の国」と謳われた瑞穂(葦や茅)の
  ことだと真弓常忠氏は『古代の鉄と神々』に記した。
 紛れもなく、名草一族はスズ鉄の産鉄族だった。

『摂津国風土記』逸文を改めて思い出す。
〜豊宇可(トヨウカ)及売神、常に稲倉山に居まし、
山を以って膳厨(みくりや)となす。
後、事故ありて居ることあたわず、丹後国
比犀乃真奈韋(ひじのまない)に移り行きき」〜


境内に、「神饌田」の石碑が建っている。
やはりこの地は丹後へ移った豊受姫の膳厨だったか。
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神社から府道を100m西へ進むと三草山が見えた。
行きには分からなかったが、帰りにスマホ望遠で撮影。
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by utoutou | 2018-10-05 15:39 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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