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六甲山と瀬織津姫 192 邇々杵命の降臨

TBS系で夕方放送の番組『Nスタ』が、いまが旬の
マコモダケを特集していて、目が釘付けになった。
 マコモの茎が肥大して、食用になるのがマコモダケ。

「幻の味」「中華料理店でも」といった調理法から、
「古事記に登場」「無病息災・五穀豊穣」「注連縄に」
「酒樽に」「お歯黒・眉墨に」「盆座布団に」、そして、
「全国マコモサミット開催」など、見どころ満載で…。
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古事記のくだりは聞き逃したが、
天地開闢について解説されていたに違いない。

〜 天地がおこったとき、高天原に成った神は、
天之御中主神、次に高皇産巣日の神、神産巣日の神。
まだ国が稚く油かクラゲのように漂っているとき、
次に葦牙のごとく萌え上がるように出た神の名は、
ウマシアシカビヒコヂの神(美しい葦牙の独神)、
次に天之常立の神。この五柱は別天つ神である〜

1億年前から東南アジアに自生していたという
 イネ科の多年草・真菰(マコモ)とは、まさしく
葦牙(あしかび)のこと。「豊葦原の瑞穂の国」
とは、葦牙や茅など瑞穂の豊かに繁る様子を表して
 おり天地開闢そのものだった。(豊葦原の瑞穂の
 茎に成ったスズ鉄の農具で稲作を進めたと考える)

そう言えば、お釈迦さまが病人を治療したのも、
 マコモで編んだ筵の上だったというから薬効も高い。
調べると、ネイティブ・インディアンは、
「ワイルドライス」として、いまも食用にすると
いうから、アメリカンのマコモも自生していた…。


マコモダケのニュースを見ながら思い返したのは、
岐尼神社(大阪府能勢郡豊能町)の祭神と由緒だ。
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主祭神・天孫・邇々杵命について、こう記す。
〜邇々杵命といえば天孫降臨の神話にある神である
が、ここにも天孫降臨の説話がある。すなわち、
岐尼神(きねのかみ=邇々杵命)が南の小丘に
降臨し給うたとき、土民は臼の上に杵を渡し、
荒菰を敷いて迎えたという。
「杵」「杵尊」のひびきは社名の起因と考えられる〜
ちなみに、合祀されている祭神は、天児屋根命、
大名草彦の子・枳根命、源満仲という。
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祭神に見える「名草」を謎解きの糸口にしたい。
ヤマト神話は、天孫・邇々杵命は、天照大神の命
によって、高天原の岩の神座から離れて、筑紫
の日向(宮崎県)に天降ったと伝えるが、思えば
その地名は、志賀海神社にも伝わっていたのだった。

言うまでもなく、志賀海神社(福岡市)は安曇族
の故郷。そして、ここ岐尼神社の神名に見える
名草の一族は安曇と同族であり、さらに言えば、
 琉球の始祖・アマミキヨの末裔も安曇族に繋がる。

は安曇磯良と同魂だと、語り部は常々言っている。

以前のブログ「シロミキヨの高天原」に、
いまは亡き神女の語る古伝承を書いたことがある。

曰く、
「琉球稲作発祥の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)
の上の巨岩・タカマシカマノ御嶽は、御先(うさち)
から高天原と呼ばれ、瓊々杵尊が降臨したという」
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琉球、筑紫、そして北摂津…と、各地に残された
記紀とは異なる天孫降臨伝承は、何を意味するのか。
ここ北摂津から繋がる丹後の元伊勢・比沼麻奈為神社
(京丹後市峰山町の豊受宮)も邇々杵命を祀っている。

そこで想像するのはマコモ文化圏(?)の存在だ。
岐尼神社の由緒は、土民が臼に杵を渡して荒菰を
敷いて神を迎えたというが、土民とは誰のことか。
なぜ土民に、マコモを神座とする風習があったのか。

契丹古伝は、「殷とは倭国であった」と記した。
ユーラシア大陸と日本列島に共通の倭人がいたと。
彼らは古代王朝「東大東族(シウカラ)」の民。
天孫氏の末裔という神女のウメおばあが語った
天孫氏王朝17802年」を、改めてかみしめている。










































by utoutou | 2018-10-22 16:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(3)
Commented by たぬき at 2018-10-25 13:32 x
ニニギ=ニギハヤヒ=天(海)ホアカリ=、、、秦国人の徐福。

秦帝国の始皇帝 瀛政 のが希求する不老不死(長寿)の願いに道教の方士マスター 徐福が召し出され
舌先三寸で巧みにタブらかして巨万の財宝に二千人の配下を貰い東海(東シナ海)浮かび、、、、

先ず、その一年まえに先見隊(隊長はホヒ(所謂、天穂日命))が当時、日本列島の大半を領有、支配下に置いていた出雲王国の都(出雲)に潜入して
王家や関係各方面に珍稀かつ高価な贈り物ばら蒔く等して
(大変高貴なお方が渡航して来る?と話を盛ったか?)
徐福さま率いる本隊の上陸許可を取り付けます。
石見国の今の五十猛海岸に上陸。、、、やがて出雲の王家のお姫様、高光日命と結婚することに成功してマンマと出雲の王族に列なりました。
それからしばらくしてやがて日本での長男、五十猛(徐福の父親が徐猛さん。父親の名前を子供に名付けた)が生まれます。
渡来時より警戒していた出雲側も御子も生まれた事から気が緩んだそのタイミングを見逃さず、
徐福ら秦国人らは予てより密かに計画していた出雲王国の乗っ取りを実行にうつしました。
先ず、出雲王国の当代主王(オオナモチ)の八千戈命を言葉巧みに誘い出していきなり拉致誘拐~洞窟に幽閉してしまいました。
当時、美保の屋敷(別邸)に滞在していた当代の副王(スクナヒコ)の八重波津身命のもとに八千戈命さま失踪の急報が届き(ホヒの息子のヒナトリ)、
スクナヒコの八重波津身さまの出御を仰ぎ探索に、、、云々でお召しの船に乗り王の海(中海)をしばらく行くと賊に行くてを阻まれ囲まれて、、、拉致拘束された八重波津身命さまは粟島の志都の窟に幽閉されてしまいました。
お二方ともそれぞれの洞窟内で餓死させられてしまいました。
、、、
Commented by komakame at 2018-10-27 18:10 x
 偶然にも博多に行く用が起こり、記事に安曇族の故郷である志賀海神社のことが書いてあったので、28日早朝参拝して来ました。まわりの山がなんとなく御嶽のあるところに似ていました。御由緒にも「白砂青松の海ノ中道を有し、マテバシイの老樹鬱蒼とした古代の森と神跡を守り続けているこの姿こそ古代から連綿と続く安曇族の姿である」と記されています。また「神代より海神の総本社、龍の都と称えられ」とあり、遥拝所から望む日の出は神々しいものでした。
 utoutouさん、考えもしなかった神社等へ参拝できる機会を次から次へと与えていただき、ありがとうございます。
Commented by utoutou at 2018-10-27 18:36
> komakameさん
本日参拝なさったのでしょうか?
コメントをありがとうございます。龍の都ですよね〜確かに。真っすぐに参道を登っていくときに、私もそう感じました😊歴史的には半ば消されたと思われる神社でも、我が身を置くと、ここには自分の知りたい事がまだ息づいていると感じたことでした😅
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