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六甲山と瀬織津姫 198 葦舟は琉球産?

沖縄から帰った後、語り部とこんな会話をした。
伊礼原遺跡の土層図が示すマングローブを見て、
褐鉄鉱の製鉄が行われたかと、考えていたときのこと。
語り部は言った。
「湿地帯のマングローブ林の近くに、他の木も茂って
いるように視えますが、何ですかそれは… ?」
「…… ??」

質問は、なおも続いた。
サキシマスノウの木は、船の材料になりますか?」
その実がウルトラマンの顔に似ていると言われる
サキシマスノウの木は硬く、船の櫂に用いられる。
「確かに、葦舟の櫂として使われたのかも…」
「そうですか、葦とサキシマスノウで葦舟ができる」
「なるほど…。琉球の島々でも、古代の人たちに
 よって葦船が作られた可能性があるわけですね」

古代、舟の原型とされる葦船は、世界中で作られた。
古代船は、葦舟→丸木舟→アウトリガー→カヌー
→双胴船へと発展した。※茂在寅男氏の著書より。
いっぽう、古事記の国産み神話では、
イザナミ・イザナギは最初にできた水蛭子(ひるこ)
を葦舟に乗せてオノゴロ島から流してしまう。

イザナミ・イザナギ、葦舟は、古代産鉄族の象徴と
私は考えているが、そこにサキシマスノウが加わる
と、神話舞台は琉球の島々ということになるか?
少なくとも神託は、そう宣っているかのようだ。


北谷町役場の考古展示館で撮った画像を改めて見る。
弥生時代の琉球とヤマトの貝交易を図示した、
「貝の道の模式図」。※熊本大学、木下尚子教授の作。
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沖縄列島にサンゴ礁ができた2千数百年前、
つまり弥生時代からヤマトとのゴホウラやイモガイ
貝交易は始まった。それは北部九州の弥生人が貝殻を
貴重品として求めたからと言われるが、もっと以前、
縄文時代の南島人が関わった大陸との交易に関しては、
考古学が絡むせいか、なかなか語られることがない。


ましてや琉球の海人族が、大陸との交易で活躍した
であろうことなどは…。
また、北谷町の伊礼原遺跡から出土の曽畑式土器
(※県博「縄文と沖縄」で撮影)が、
ユーラシア大陸北部に分布した櫛目文土器を生んだ
遼河文明の影響を受けているこということなども…。
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こちら、
曽畑貝塚(熊本県宇土市)から出土した曽畑式土器。
曽畑式土器のなかでも古手という。(※県博で撮影)
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櫛目文土器の影響を受けたという曽畑式土器。
そのなかに、沖縄県北谷町と熊本県宇土市から出土
した2種類があるという点には、興味は尽きない。

なぜなら、伊礼原遺跡がら出土した曽畑式土器の大半
には、白い粒(貝やサンゴや砂)が混入しており、
 いっぽう熊本産の特徴である滑石入りはごく僅かという。
 大陸の影響を受けた土器の作り手が伊礼原にいたのだ。

その人々とは誰か…?
「大陸と交易して曽畑式土器を作ったのは熊襲では?」
昨日、私が聞いてみると、語り部は言った。
「いやあ、ワニ族かもしれませんよ」

ヤマトの古代豪族・和邇(過去ログはこちら)。
『契丹古伝』(浜名寛祐・編訳)は、その国は
現在の河南省開封府陳留県にあったと記している。

その場所を、城郭都市研究会様サイトから拝借した
地図↓で見ると、四角で囲まれた「老丘」に当たる。

「ワニは夏・殷の時代には大侯国だったが、漢代は
史書から消え、東の海に去った」とも『契丹古伝』に
ある。ちなみに、櫛目文土器の興った遼河は、
地図右上の遼東半島付近を河口にして渤海に流れ出る。
黄河の河口とは、意外にそう遠くない。
六甲山と瀬織津姫 198 葦舟は琉球産?_a0300530_08302407.png




「曽畑式土器とワニ族の関係はなきにしもあらず」
と、話し合ったが、語り部はなおも言った。
「では、ワニ族は元々どこにいたんでしょうね?」

by utoutou | 2018-12-18 19:26 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented by ぐぅ at 2018-12-19 10:56 x
平安時代、ハ行転呼が起こり「ハ」と「ワ」の書き間違いが多発したそうです。平安時代以前はハ行をファフィフゥフェフォ、更に古くなるとパピプペポと発音してたらしいです。
私見ですが、ワニ族は本来ハニ族と呼ばれてた可能性があるのではないのでしょうか?古代の発音で言うなら「パニ族」です。
Commented by utoutou at 2018-12-25 10:55
> ぐぅさん
返信が遅くなり失礼しました。ハニ族は現在タイ北部にもいて、その話はチェンライに行ったときに見聞きしました。雲南省から来た人たちのようですね。棚田で米を作り、味噌や醤油を作り、笊や木製農具は日本のものと似ていました。漢民族からは夷狄とされたのでしょうが、元々はどこから発祥した一族なのでしょうね? 
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