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六甲山と瀬織津姫 199 猿田彦の十字路

1年が終わろうとしているが、珠は見つからない。
ワニ族の出自を聞かれても、確たる私見はなかった。
と思った先日、久高島を再訪することにした。

「今年最後の沖縄」と銘打った11月下旬の旅でも、
久高島に1泊したが、実は目的が果たせていなかった。
島の十字路を探したが、どうにも辿り着けなかった。
そこは、古代海人族の崇めた最古の御嶽と考えている。

現在、島の三角点(島の最高となる標高17.52m)。
国土地理院が置いたこの土地の基準点のである。
 平べったい島の真ん中。この戦後まで見晴らしよく、
そこから本島や、本島西北部に浮かぶ伊江島も見渡せ、
古には、神女たちが鏡で連絡を取り合ったという。
 いまは島の中央の深いジャングルに埋もれている。


前回は辿り着けなかったが、再挑戦したかった。
14時の船で久高島に渡り、御嶽周りの参拝を済ませて
 から三角点を探すべく、島の森の中心へと分け入った。
17時ごろ。西の空は夕暮れ色だったが、まだ動ける。
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三角点の近くにあった御嶽を語れる人はもういない。
そこには歴史が語らない神の魂が鎮まっているはずで、
その神こそは、「六甲山と瀬織津姫」を解く鍵だ。


神の名は龍宮(琉球)の大地主神・猿田彦大神。
ヤマトでは、伊勢大神であり、豊受大神であり、
天照大神であり、住吉大神であり、椎根津彦であり、
海神であり、綿津見神であり、 宇迦之御魂であり、
何より豊玉彦であり、八大龍王と同じ神徳の神である。
そしてその大神は琉球の珠を頭上に戴いているはずだ。


これまで、瀬織津姫(久高島ではアカララキ)に
ついて何度も書いてきたが、猿田彦の一対神である
その女神は天疎る向津姫であり、天(海)神ではない。
本来の龍神だからこそ、猿田彦はヤマトでは疎まれ、
記紀では、天の八街で皇祖を道案内する神とされた。
けれども、本来は天の八街・地の八街に坐す大神だ。
と考えつつ、ほぼホフク前進して(笑)、森を進んだ。
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そして、とうとう到着。着いてみると当然のこと
そこには広くはないけれども、平らな空間があり、
三角点の標石と、国土地理院の標識が置かれていた。
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三角点のジャングルから這い出ると、目の先に月。
もうすぐ平成最後に見上げることになる満月と出会う。
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今年もご訪問いただきありがとうございました。
皆さま、よいお年をお迎えください。
猿田彦の項、来年へとつづく…。


ちなみに、これまで、六甲山と
猿田彦については、以下のブログで綴っている。

六甲山と瀬織津姫 50 猿田彦大神

六甲山と瀬織津姫 121 猿田彦が隠れている

六甲山と瀬織津姫 122 猿田彦の子午線

六甲山と瀬織津姫 128 猿田彦の島

六甲山と瀬織津姫 171 そして猿田彦大神




by utoutou | 2018-12-31 18:38 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(8)
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Commented by ぐぅ at 2018-12-31 21:42 x
ワニ族は元々どこから来たのか。




それがわからないので人任せに初コメントしました笑
あくまで私見ですが、神功皇后を追えば見えてくるかと思ってます。
卑弥呼とは違いヤマトの歴史に名を残してるところをみると反勢力ではなさそうですよね。もしくは偽神功皇后が存在した説もなんとなく想像できますが。
八ヶ岳の麓の寂れた諏訪神社の御祭神に神功皇后がいて不思議だったのですが、山梨のとある諏訪神社の御祭髪が豊玉姫だったので何か繋がりました。
でもよくわかりません。

近々初めて沖縄に行って来ます。久高島にも行く予定です。
個人的にはメカルシと佐賀の海松橿媛(ミルカシヒメ)は同族なのかが気になるのでそのあたりも調べたいと思ってます。
Commented at 2018-12-31 23:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2019-01-03 19:03
> ぐぅさん
新年あけましておめでとうございます。先ほど本日のブログに導入部を書いたのですが、ワニ族の元は琉球だと実は考えているのです。「天孫氏王朝17802年」の伝承を踏まえると、そうならざるを得ないということで、琉球(龍宮)へ先祖返りした一族なのかなと。久高島通いを始めて、11年経ちました。当初その伝承に接したときは、「まさか」と感じるばかりでしたが、ようやくそうかもしれないと思うようになりました。つまり神功時代の事績は、その流れの先にあった、あるいは作られたことなのだろうと思うわけです。
Commented by utoutou at 2019-01-03 19:13
> komakameさん
明けましておめでとうございます。久高島=久しく高い島。名前から想像するに、現在、私たちが知っているその平べったい島は、太古には海面から頭を出していた頂きだったようにも思えます。書くことがかなり難しい段階となりました。笑笑
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
Commented at 2019-01-04 10:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2019-01-06 17:29
> パオさん
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。蟹とともに(笑)よいお正月を過ごされましたでしょうか。和珥臣の祖ヒフレノオミの名は、近江の日牟礼八幡宮の由緒にも出ていますね。一説には、応神を八幡神と崇める祭祀の誕生を匂わすように、藤原不比等が神の天降りの一首を詠んだとか。また、応神がヒフレノオミの娘をお妃にしたというところからも、最古の氏族・和珥氏がいかに重用されたかが伺える気がします。きょうのブログに書きました、久高島のウプチマリヤーという屋号の元家も、ひょっとするとワニ族に関わってくるのかなとも考えています。今年もどうぞよろしくお願い致します!
Commented by たぬき at 2019-01-08 00:19 x
猿田彦大神=聖天ガネーシャ尊/歓喜天。
シバ神(天帝)とサラバスティ(水神/后神。弁天さま)の御子神さま。

出雲族の祖先、インド先住民族のドラビタ族が北西から進攻してきたアーリア人に隷属を強いられ抑圧を余儀無くされるなか、
小国のクナ国(現在のグナの町だとも)のクナト王は国ごとの移住を決めて若者ら数千人と共にかねてよりキャラバンから聞いていた極東の更に東の海中に浮かぶ温暖で人口の少ない島国への移住を決行。
間宮海峡を渡りサハリンに至り南下。渡り島と呼ばれていた北海道に上陸して更に南下。
津軽海峡を渡って本州に上陸。東北地域でしばらく滞在してクナト王率いる本隊は日本海側を南下を続けて出雲地域に至り豊富な砂鉄資源を見出だして定住化を決めて永きに渡るグレートジャーニーは終わりました。
彼らはインド時代からの信仰、シバ神、サラバスティ神、御子神のガネーシャ神の三大神とインドの河川に生息するワニや大蛇のコブラ等が畏怖され神格化された龍蛇神と崇拝。また、太陽の女神スーリー(後に天照大神)も持ち込みしました。
やがて、シバはクナト大神にサラバスティはサビメ大神/幸媛之命に、ガネーシャはサルタ彦神(サルタはドラビタ語で大きな鼻の意)の家族神へと変容しました。
(後に出雲滅亡に前後してクナト大神はイザナギ、サビメ大神/幸媛之命はイザナミに改ざんさせられます)

後に出雲族らは先祖の故郷のインドと交易、交流をしていたとつたわります。
、、、海上ルート(海のシルクロード)が有ったとした場合、お探しの答えになるかもしれません?


、、、また、出雲族に先行して日本列島に渡来した宇佐族(月神を信奉)らはサルタ族と呼んだとか。
Commented by utoutou at 2019-01-11 17:08
> たぬきさん
新年明けましておめでとうございます。海路もあった…それはそうだな…と、仰ることをここ1週間つらつらと咀嚼しておりましたが…出雲と琉球、双方の伝説は必ずしも時代的に一致しないのではないかなと、きょうはそんなことを思いましたm(._.)m
本年もよろしくお願い申し上げます。
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