新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い致します…というところで、 まさに願うような想いで、旧年末の久高島を振り返る。 この島で祈りを通すには、順序を間違えては駄目… と教えてくれた神人がいた。まず自分を守護する神々 を悟り、その神々の御嶽を廻って挨拶(御願立て)する ことが神の島でのシキタリなのだと。10年前に出会った その人にはもう会えないが、12月初旬、久高島三角点 まで辿り着けずに諦めたとき、ふとあの話を思い出した。 ↓スマホ画像は、11:20とあのときの時刻を示していた。 三角点探しを諦めてジャングルから抜け出てきたとき。 ![]() ![]() 上の写真を撮った位置で南へ振り向くとそこがフシマ。 御嶽名の表記には諸説あるが、火の島か不死鳥の島? 詳細は、「旧正月の久高島 至高のパワースポット」に。 白いお墓? は、他所の人が建てていったという謎の物件。 ![]() 島の「真南(まふぇー)のにある御嶽」ことフシマは、 龍宮神が坐す島との伝承。写真左の岩にイラブーもいた。 私をこの御嶽へと導いたのは、アカララキ(御嶽)だ。 龍宮神(猿田彦)とアカララキ(瀬織津姫)は一対神 というのが、御嶽廻りで得た実感。というより確信。 と、このとき、時刻は15:43。安座真港を15:30に 出た白い高速船が徳仁港に入って来た(写真中央)。 ![]() 御嶽廻りの2ヶ所目は、上の写真右に写る灯台の下 のイラブーガマ。イラブー(エラブ海蛇)は龍宮神 に見立てられ、いつしか久高島は「神の島」とされた。 ![]() イラブーガマ近くのスベーラの御嶽(スベーラキ)。 古代ヤマトでは天皇の尊顔を「龍顔」と呼んだという。 龍神、イラブー、スメラ、スベーラ…の御嶽。 語り部は、この御嶽に天皇の就任式・大嘗祭の原型を 視ると、何年か前に言っていたものだった。 ![]() 4ヶ所目は私が龍宮と呼ぶ洞穴。10mほど地下へ 降りて20mほど進むと、イビ(拝所)前に出る。 「龍宮」については何度か書いたが↓こちらに詳細が。 ![]() 5ヶ所目は、中の御嶽だったが御嶽空間の撮影は失念。 中の御嶽に至った経緯は↓こちらの過去ログに。 ![]() 御嶽廻りの最終地点は、他でもない久高島の三角点。 中の御嶽が、龍神の坐す御嶽を巡拝する終着点と これまで感じていたが、ひよっとするとこの場所か? 一般に、国土地理院の三角点と最高点は違うものと いうが、島のおじいに聞くと、「そこが島でいちばん 高いところ。昔、高潮のときに皆んなで避難した」と。 拝所があったという話もあるが、見つからなかった。 ![]() そうこうした後、久高島に1泊。翌日は、 いま米軍新基地建設で揺れる名護市辺野古に1泊。 3日目の帰路、那覇空港に行く前に語り部に会った。 しばらく話していると、こんなことを言った。 「赤い球を頭に載せた龍神が動いているのが視えます。 海からアカララキに上がり、島の三角点に進んで行く。 アカララキの前浜は、なんという名前でしたか?」 あーっと、思わず大声を上げそうになった。 「そうでした、ユーウラヌ浜!」 その語源は、「ユーフラテス浜」と呼んだ名残りだろう と、語り部はかねがね語っていた。 龍宮神こと猿田彦、そして猿田彦の率いるワニ族は、 メソポタミアから渡来したということになる。 御嶽廻りのご利益とは、その気づきだったか…。
by utoutou
| 2019-01-03 17:15
| 瀬織津姫
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Comments(2)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> takaamaharaさん
啓示に応えるのには、ご自身のさらなる悟りに従うしかないのではないでしょうか。 島のイラブーガマで祈り、そこからイラブーに導かれて龍宮へと進むのがよいと思います。 道はあると思います。私もそうでしたから。富里と久高には古代から縁があったようですね。
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