猿田彦の率いる一族はメソポタミアから来た…。 つまり久高島に渡来した古代海人族は、シュメール から来たと、語り部は言っているわけだが、 私がその話を聞いたのは1度や2度のことではない。 ただ、私自身が書き残すことを躊躇っていただけだ。 シュメール(スメル)から来たという歴史ならば、 この戦後GHQによって絶版・焚書となったと言われる 伊予国一宮大山祇神社の三島敦雄元宮司による著書 「天孫人種六千年史の研究」にも記されている。 が、琉球古伝によれば、天孫氏王朝は17802年続いた。 つまり、氷河期とその後の時代をも挟んで断続的に…。 その間、人々は動いた。古代琉球からメソポタミアへ、 さらにシュメールで都を成した後、再び日の本の琉球へ。 冒頭、語り部が「シュメールから来た」と言うのは、 先祖の元へ里帰りした人々についての伝承なのである。 そもそも一族が、大陸の西を目指した理由は、 氷河期が終わって大洪水が起き、古陸が沈没した ための神託によるエクソダス(脱出)だったようだ。 語り部に聞いた古伝を、「東国三社 6 ノアの方舟」 に書いたが、読み返すと我ながら腰が引けている。 けれども、神女の語り継いだ古伝には整合性がある。 ちなみに、久高島を沖縄本島に向け出帆するとき、 右に見えるイラブーガマの上部が、スベーラの御嶽。 ユーウラヌ浜と同様、嶽名がシュメールを思わせる。 さて、帰り際、那覇で会った語り部に、 久高島の御嶽廻りから三角点に至る様子を伝えると、 すぐさまこんな反応があった。 「三角点の山に、赤いマニ玉が視えます。それは、 龍神が頭に乗せて久高島へと運んで来たものですね。 その龍神は、龍宮、というより海底宮殿にいました」 「海底宮殿って、どこのですか?」 「斎場御嶽と久高島の、ちょうど合い中の場所です」 「あったのですか?」 「そこが後の猿田彦となる龍神(海神)の住処だった」 「すると、海底宮殿というか、 その竜宮城は、氷河期以前にはあったけど沈没した? そして、その話が後に、豊玉姫・玉依姫のヤマト神話 の原型になっていったというわけですね?」 「はい」 語り部と出会った11年前、その海にふたりの美しい 姫が立つのを見る…と言っていたことを思い出す。 朝、たまたま高速船の上から海を撮っていた。 久高島と、斎場御嶽近くの知念岬との距離は5.3㎞。 そこにいまも龍宮こと海底宮殿が沈んでいるのか? 龍神が頭に乗せていたという龍宮の珠(ぬぶし玉)。 私はようやくゴールへの最終コーナーに入ったのか。 恐る恐る、聞いた。 「あの琉球版ノアの方舟の伝説を考えれば、 龍神が運んで来たというマニ玉は、ムー大陸から来た 太陽神の化身と考えられる…わけですよね?」 「はい、赤琥珀のように鮮やかで透明な赤い玉です」 それが長い長い歳月を経て、何らかの理由で、 海人族によって六甲山へと運ばれたのだろうか。 2時間ほどお茶を飲みながら話し、これで今年 最後の沖縄旅をめでたくお仕舞いにできる、と 思ったとき、語り部に新たなビジョンが舞い降りた。 「久高島の集落のなかで、もう人が住んでいなくて、 ふたつの香炉が残されている家はどこですか?」 もちろん私に問われても、まったく分からない。 「外間ノロ家から外間殿に行く道の途中の、 イチャリ(※屋号)家の手前の角あたり…。 あ、屋号はウプチマリヤーという家のようです」 「その家がどうしたのですか…?」 「うさち(=上古)の島軸・国軸を授かっていた家。 あの豊玉姫たちの船とも関係があるようです」 島の某家に祀られている ↓黒い船(ワニ船)。 そうか、あの船はやはり太陽を運ぶ船だったのか…。 ウプチマリヤー。 初めて聞くその名を、うわ言のように呟いて帰京した。
by utoutou
| 2019-01-06 13:01
| 瀬織津姫
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