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六甲山と瀬織津姫 203 粟(アワ)の祭り

「粟…アワですか…」
なぜ粟の収穫祭りのとき、久高島の神女たちが、
島軸(中心)の回りを7回も時計回りに回ったのか?
という疑問の主だった部分は、私の場合「7回回る」
だったが、語り部によれば、「粟」が重要という。

「ホツマツタエにある“アワの歌”でも分かるように、
アとワは天地のエネルギーを表していると思います。
粟のお祭りのとき、神女たちが島軸を回ったのは、
うさち(上古)の頃からの儀礼の名残りだったのでは。
粟、アワ、阿波、淡路島…語源は同じかもしれません」


粟がそれほど深い話につながるのかと驚くばかり。  
粟の収穫祭はもう、いや栽培すら行われていないし、
島の人に聞いても分かる人はいないだろうというが、
約40年前までは、かたちだけであれ祭りは続いていた。
(写真は本文と関係のない、島に自生するススキ)
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英祖王の時代からあったという地割(じーわい)と
呼ばれる畑地共有制度も、様変わりして市民農園に。
集落の北には、南城市が推進する植物工場が建設中だ。
 そのため大型ダンプが港と現場をしきりに往来する。
そんな平成の終わりに知ることになった、「粟」…。
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電話を通して、ひとしきり「粟の収穫祭」の話に。
私も思うままに、「七」について言った。

「7はシュメールの聖数。久高島でもそうでしたよね。
7回回る、七つ橋、七ツ屋、七つ屋取(ヤードゥイ)
それから、 七つの川泉、七つの首の蛇…。久々に
思い出しましたよ。あと玉城のミントングスクに残る
創世神話では七日七晩の後、アマミキヨが天降りした。
右回りは、古事記の創世神話のイザナミを思わせます。
粟の収穫祭、確かになんだか深い意味がありそうな…」

いっぽう、語り部の話にも、「七」は出てきた。
「大城(ウフグスク)のウメおばあが言ってました。
粟には餅粟、赤粟など、七つの種子があったんだよと。
あと、お米の前は粟が主食だったという伝えもあった」

米の前の主食は粟だった…ウメおばあの話を聞いて、
久々に、アマミキヨ伝承の聖地・玉城を思い出した。

そして、「七つの首の蛇」に視えると語り部が言った
あの大前殿(うふめーのとぅん)に祀られる「稲穂」
の絵も同時に甦ってくる。そのとき、思ったものだ。


もしや、これまで稲穂とばかり思っていたあの絵は、
粟だったのかも? 稲穂は隣に祀られているのだから。
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weblio辞書の「粟」のページから拝借した画像。
玉城の大前殿の絵と、かなり似ているように思う。
大前殿を建立したのは、ミントン門中の神女という。
いっぽう、玉城は琉球稲作の発祥地と伝わるが、
粟など五穀の発祥地でもあったのかもしれない。
六甲山と瀬織津姫 203 粟(アワ)の祭り_a0300530_14400750.png





実は、「七つの首の蛇」こと海人七氏族とは、
粟の種子を携えて琉球に渡来した古代人だったのか。
そして、彼ら海人族を乗せたのは久高島に遺る黒い船?

知られざる旧家・ウプチマリヤーはそれを伝えていた?













by utoutou | 2019-01-11 13:49 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2019-01-11 18:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2019-01-14 13:24
> 東鍛冶屋さん
海の民・アマミキヨですから、海部と同じようにシュメールからの渡来説があっても不思議ではないですよね。シュメールは日本から見て西にある葦の国という捉え方があるようですし、日本も豊葦原の瑞穂の国なのですから、なおのこと。ただし、古陸が沈没したとき、琉球人はまず大陸の西へ逃げたのだという伝えには、馴染むのに時間がかかりました。
ところで、粟国島では粟がたくさん獲れたのが島名の由来と聞きますし、村史にも記載されているようですが、どれぐらいまで時代は遡るのでしょうか? そのオジイさんの話によれば、神代にまで遡りそうですね。
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