久高島にあった謎の旧家・ウプチマリヤーの件は、 年を超え、松が取れたころに無事解決した。 結論から言えば、恥ずかしながら「灯台下暗し」。 久高島を発つ朝、私はその家に立ち寄っていたのだった。 ただし、屋号を知らなかった。 場所は、語り部の視た国軸から実際は少し南に位置 している。テーラーガーミ(太陽の祭り)の祭場 ハンチャアタイ(神の畑)の最寄りにその家はある。 いまは無人になっているけれども、 門中(男系親族)のNさんが授かり管理している。 彼女に「黒い船を祀り直したので見ていって」と 言われ、外間殿に参った後、足を運んでいた。 語り部が「豊玉姫たちの船」とか「太陽の船」と 呼ぶ御神体は、新しい深海色の壁を背に映えていた。 ![]() 屋号・ウプチマリヤー。その意味は不明。 神壇の上部に、「黒い船」は恭しく祀られている。 私はいつも、「黒い船の家」と呼んで通っていた。 ![]() ウプチマリヤーを巡る「事の顛末」を振り返ると…。 年末、久高島の帰りに訪れた那覇で、語り部が 「黒い船」の話をきっかけとして喫茶店で語って くれたことが、私の迷走(?)の始まりだった。 「久高島の外間ノロ家と、イチャリグァ家の間に、 ふたつの古い香炉だけが祀られている家がある。 ウプチマリヤーという屋号で、近くに国軸があった。 彼らが、ユーラシアから粟の種子を持って帰還した 一族だと思います。黒い船はその歴史を伝えている」 私が島のNさんに聞くと、ややあって↓写真貼付 の返信がやって来た。ただし、屋号が違っていた。 「その場所には確かにふたつの香炉が祀られている けど、ウイシュマリヤーという家ですよ」 と、彼女は言った。 ![]() では、ウプチマリヤーはどこにあるのだろうか? 数日後、「ウプ(=大)」を省き「チマリヤー」 として探り始めると、門中の歴史が分かってきた。 以下要約。 ☆チマリヤーは海人(うみんちゅ)で、王府時代 は国王に仕え、唐船(とうしん)の船乗りだった。 ☆チマリヤー、東(アガリ)チマリヤーなど 数軒あるが、すべて同じ門中に属している。 ☆チマリヤーの門中では、ふたつの香炉を祀ったが、 うちひとつは、船霊(ふなだま)の香炉である。 さて、 年が明け、本島在住のGさんから連絡をもらった。 比嘉康雄著『神々の古層』で調べてくれたようだ。 「ウプチマリヤーはハンチャアタイの南にありますね」 その場所こそ、私のいつも行く黒い船の家だった。 さっそくNさんに聞く。 「黒い船の家は、ウプチマリヤーでしたっけ?」 「そうですよ。あら、知らなかったの?(笑)」 では、あの国軸の近くのウイシュヤー家とは? 昨日になってNさんはこう伝えてきた。 「ウイシュヤーはウプチマリヤーの子孫のようです」 なるほど、語り部が島軸に元家のウプチマリヤー を視たのには、そんな理由があったようだ。 そしてもうひとつ、Nさんはこうも言った。 「黒い船は、唐船の模型と言われていますけど、 もっと古い意味があるのかもしれませんね。 戦争の頃は隠していたそうですから…」 太平洋戦争前夜、天皇家の歴史より古い時代や 天照大御神以外の神について語ることはタブーに なった…というのは、沖縄でもよく聞く話。 テーラーガーミとは、太陽の男神のことである。 ※チマリヤーについては、次の論文などを参照。 ☆「記録されたイザイホー」(86ページ) ☆「久高島ウミンチュの歴史的展開」(56ページ) ☆「久高島村落祭祀組織について」(175ページ)
by utoutou
| 2019-01-14 19:11
| 瀬織津姫
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