六甲山と瀬織津姫 204 ウプチマリヤーの船

久高島にあった謎の旧家・ウプチマリヤーの件は、
年を超え、松が取れたころに無事解決した。
結論から言えば、恥ずかしながら「灯台下暗し」。
久高島を発つ朝、私はその家に立ち寄っていたのだった。
ただし、屋号を知らなかった。

場所は、語り部の視た国軸から実際は少し南に位置
ハンチャアタイ(神の畑)の最寄りにその家はある。


いまは無人になっているけれども、
門中(男系親族)のNさんが授かり管理している。
彼女に「黒い船を祀り直したので見ていって」と
言われ、外間殿に参った後、足を運んでいた。
語り部が「豊玉姫たちの船」とか「太陽の船」と
呼ぶ御神体は、新しい深海色の壁を背に映えていた。
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屋号・ウプチマリヤー。その意味は不明。
神壇の上部に、「黒い船」は恭しく祀られている。
私はいつも、「黒い船の家」と呼んで通っていた。
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ウプチマリヤーを巡る「事の顛末」を振り返ると…。
年末、久高島の帰りに訪れた那覇で、語り部が
「黒い船」の話をきっかけとして喫茶店で語って
くれたことが、私の迷走(?)の始まりだった。

「久高島の外間ノロ家と、イチャリグァ家の間に、
ふたつの古い香炉だけが祀られている家がある。
ウプチマリヤーという屋号で、近くに国軸があった。
彼らが、ユーラシアから粟の種子を持って帰還した
一族だと思います。黒い船はその歴史を伝えている」


私が島のNさんに聞くと、ややあって↓写真貼付
の返信がやって来た。ただし、屋号が違っていた。
「その場所には確かにふたつの香炉が祀られている
けど、ウイシュマリヤーという家ですよ」
と、彼女は言った。
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では、ウプチマリヤーはどこにあるのだろうか?
数日後、「ウプ(=大)」を省き「チマリヤー」
として探り始めると、門中の歴史が分かってきた。
以下要約。

☆チマリヤーは海人(うみんちゅ)で、王府時代
は国王に仕え、唐船(とうしん)の船乗りだった。
☆チマリヤー、東(アガリ)チマリヤーなど
数軒あるが、すべて同じ門中に属している。
☆チマリヤーの門中では、ふたつの香炉を祀ったが、
うちひとつは、船霊(ふなだま)の香炉である。

さて、
年が明け、本島在住のGさんから連絡をもらった。
比嘉康雄著『神々の古層』で調べてくれたようだ。
「ウプチマリヤーはハンチャアタイの南にありますね」
その場所こそ、私のいつも行く黒い船の家だった。

さっそくNさんに聞く。
「黒い船の家は、ウプチマリヤーでしたっけ?」
「そうですよ。あら、知らなかったの?(笑)」

では、あの国軸の近くのウイシュヤー家とは?
昨日になってNさんはこう伝えてきた。
「ウイシュヤーはウプチマリヤーの子孫のようです」
なるほど、語り部が島軸に元家のウプチマリヤー
を視たのには、そんな理由があったようだ。

そしてもうひとつ、Nさんはこうも言った。
「黒い船は、唐船の模型と言われていますけど、
もっと古い意味があるのかもしれませんね。
戦争の頃は隠していたそうですから…」

太平洋戦争前夜、天皇家の歴史より古い時代や
天照大御神以外の神について語ることはタブーに
なった…というのは、沖縄でもよく聞く話。
テーラーガーミとは、太陽の男神のことである。


※チマリヤーについては、次の論文などを参照。
☆「記録されたイザイホー」(86ページ)
☆「久高島村落祭祀組織について」(175ページ)
















by utoutou | 2019-01-14 19:11 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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