六甲山と瀬織津姫 209 饒速日命の鎮魂祭

饒速日命の神名は、このところ親しんでいる
『御即位及大嘗祭』(大正3年、大八洲学会)で発見。

「(践祚)大嘗祭前一日 鎮魂の儀」の項にあった。
鎮魂は魂を迎える祭り…と、冒頭に解説があるが、
例年は新嘗祭の前日の11月22日、天皇皇后両陛下と
皇太子・皇太子妃の長寿を祈る、と。
大嘗祭の前日も「新嘗祭前日の式の如く」行う、と。

「鎮魂の儀」は、午後5時から始まる。
宮中の袴綾殿で「手水の儀」の後、神々を斎き祀る。
神々とは、高皇産霊神をはじめ宮中八神と大直日神。

ここで、石上神宮の「鎮魂祭」を思わずにいられない。
毎年、同日、同名のお祭りがあったはずである。
  サイトに飛ぶと、やはり「神武天皇の鎮魂」とある。  
物部式の鎮魂は「御魂振り」「玉緒結び」が中心という。


石上神宮の「鎮魂祭」は毎年、新嘗祭と同日の同時間
に、摂社・天神社や七座社で行われている。
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『御即位及大嘗祭』に目を戻して、引き続き読む。
皇室祭祀令府式によれば、「鎮魂の儀」の内容とは、
〜 御衣振動 及 絲結びの式を行ふ。〜こと。
なんと、石上神宮の様式とまったく同じ内容である。

その意味を相前後する記事を拾いつつ解釈すると…。

「掌典(職)が宇氣槽(うきぶね)を、鉾で10回衝く」
という儀式は、天照大神が天岩戸に籠もった古事に
基づくもので、そのとき天鈿女神命が、手にした鉾で
うつ伏せに置いた槽(うけ、桶)を踏み轟かし、神々の
笑いを誘ったというあのシーンの再現となっている。

これが、「鎮魂の儀」の導入部(前半)のようだ。
11月23日、新嘗祭のころは太陽の霊力が弱まる時期。
そこで天鈿女神は、太陽神の再臨を成功させたのだった。

「鎮魂の儀」とは、新生なった生命力を呼び込む祭り。
それにしても、そもそも記紀に記載のない物部式の
「鎮魂祭」がなぜ「天皇の祭り」のなかで続いてきたのか?
という素朴な疑問はさて置き、もう少し読み進める。


『即位及大嘗祭』より「鎮魂の儀」について。
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上の1ページ目の後半、儀式の核心部分を読む。

掌典(職)は宇氣槽(うきぶね)に昇って「絲結」
を十結する、鉾を持って十回衝く、そして…。

次の儀式については、解説も同時進行している。
「掌典(職)が、御衣箱の蓋を開け、神前に向かって
それを10回振動させる」のは、饒速日命が天上から
伝え、その子・可美真手命(うましまでのみこと、
うましまじのみこと)が伝授して、神武天皇の御代に、
天皇の「寿祚」を祈ったことに始まる。
またその事績については、『先代旧事本紀』にあり、
伴氏の「鎮魂伝」の項に詳しく記されている。


出た、饒速日命。
そこで、『先代旧事本紀(巻五、天孫本紀)』を
確認すると、確かにその由来は宮中のものと一致する。

曰く、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)は、
饒速日命が天から受け取った瑞宝(みづたから)
を奉斎して天皇と皇后のための御魂鎮めを行い、
長寿を祈った。天皇は宇摩志麻治命に命じた。常に  
仲冬(しもつき)の中の寅の日に鎮魂祭を行えと。

また、猿女君などが神楽を歌い、舞い、そして
大きな声で言挙げをせよ、とも。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、と…。

このくだりも、宮中の「鎮魂の儀」で奏上される
神楽歌と一致している。(上3ページ目、4行目)
その神楽歌とは、「阿知女(あぢめ)の歌」。

長文になったので、次回につづく。

というより、なぜ神武は「鎮魂祭」の永続を命じたのか?
大嘗祭が「米と粟の祭り」である理由も、もしや
饒速日命にあるではないかと、きょうは睨んでいる。


by utoutou | 2019-02-08 05:51 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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