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六甲山と瀬織津姫 233 卑弥呼女王・続き

那覇では、語り部と黒塚古墳(天理市柳本)の
話をしていた。'97年からの調査で多くの鏡が出土。
箸墓にも近いことから、「これは卑弥呼の鏡か」と
20年来、論争が続いたが、三角縁神獣鏡が33面も
出土していたというその数字に、私は興味があった。

縁が三角で仙人や神獣が彫られているその鏡は、
近畿を中心に計500枚以上出土しているいっぽう、
中国では1枚も出土していないことから、卑弥呼が
238年、魏に朝貢した際に受けた100枚の銅鏡と
「魏志倭人伝」が記すものではないとの説が主流だ。

「卑弥呼の鏡」は国内産であると…。しかし、昨年、
X線分析で材質が古代の中国鏡と一致したことが、
「やはり中国製か」と、論争に新たな一石を投じた。

語り部は言った。
「鏡族(かがみぞく)が造ったものでしょう。
 穴師にいた技術者集団が造り、埋葬したと思います」
「鏡族!? つまり国内産だと。33枚の数字に意味は?」
「あると、思います」
「まさか、大和に天降った饒速日命と32人の
  防衛(さきもり)の数字…33を表しているとか?」
「なきにしもあらず…」


私は少なからず混乱をきたした。なぜなら、
『笠山秘話』には、黒塚古墳こそが卑弥呼の墓所
 だという、まさに「秘話」が記されていたからだ。

「笠山秘話」と、語り部の意見を合わせるなら、
 卑弥呼、あるいは鏡の一族は、『先代旧事本紀』
 の伝える饒速日命の一団と共に天降ったことになる?

確かに、饒速日命に仕えた防衛のリストには、
天岩戸で八咫鏡を掲げた石凝姥命(いしこりどめ)
の親であり、鏡作連の祖という天糠戸命
(あめのぬかどのみこと)がその名を連ねている。

私は思った。古代の鏡を磨く研磨剤は水銀だった
 というが、大和にはその水銀を作る朱(辰砂)の
大鉱床があった。卑弥呼も鏡の一族も、饒速日命も
また、その鉱床を辿って中央構造線を東進したのか…。


などとツラツラ思いつつ、久高島北端のカベール岬
(ハビャーン)に立つ。そう言えば、『笠山秘話』に
「卑弥呼の一行は千人いた」と。随分と大所帯だ。
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さて、そんなこんなの久高島ぶらり散歩。
島の南の集落に戻ると、インニヤーの拝所に出た。
猫が気持ちよさそうに寝ていたが、猫の家ではない。
猿田彦の下駄と杖が祀られている旧家の神屋である。
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インニヤーは屋号で「魚根家」。と分かったのは、
5年前に見た下駄に、そう記されていたからだ。

「魚の根の家」を、大和豪族の和邇氏になった一族
だろうと、語り部は言う。何千年も前からワニザメ
 をワニ神として畏敬し、ワニ舟(丸木舟)を造り、
 それに乗って大海を自在に渡り歩いていた海神一族。

「猿田彦の下駄」がインニヤーに祀られていたのは、
和邇族が、綿津見神こと豊玉彦命(=猿田彦大神)
を始祖とする安曇族と同族であるからだろうと。

欠史八代の天皇と言われる、第五代孝昭天皇から
第八代孝元天皇までの4代は和邇氏の族長だった。
卑弥呼の父・第七代孝霊天皇もまた…。

先日、「卑弥呼女王」の巻にも書いたが、
天理市の東大寺山古墳から出土した後漢の
「中平銘鉄刀(184〜189年)」は和邇氏の卑弥呼に
贈られたものだったのでは。海神族長の姫巫女に贈るに
相応しく、環頭の天辺には舟が載っているように見える。
   舟=ワニ=龍神を得た皇女は倭国女王に共立された?  
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卑弥呼の鏡、卑弥呼の剣があったとすると…。
もしや、卑弥呼の珠もあったのではないかしらん。
 それは、朱から成る「宝珠」だったり…しないか。







by utoutou | 2019-05-18 17:57 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
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Commented by グゥ at 2019-05-19 08:16 x
和邇氏には人魚(龍人)の血が強く流れているのだと思ってます。
日本の龍は指が3本。人魚も指が3本という説があるみたいです。

水生類人猿説、ホモ・サピエンスと同時期に他の人科の生き物が存在した、現代のDNA学。
本当に人魚が人間に恋をしたのかも、と思うとロマンチックでワクワクします。
Commented by utoutou at 2019-05-20 07:24
> グゥさん
いわゆるアクア説ですね。蛇信仰に対して、龍蛇(海龍)信仰があることを思うと、そうかもしれませんよね。和邇族は1万年前から大陸で漁労生活をしていて、ワニを祖神として崇めていたとも言われますし。古代、天皇の顔を「龍顔」と表現して敬ったそうですが、そんなところにも龍神への想いが伺える気がします。
Commented by たぬき at 2019-05-21 15:16 x
妄想でもオカルトでも、況してや憶測でもなく、
出雲王国の元王家末裔が二千年一子相伝で語り伝え来た伝承が先代と当代のご当主により明らかとなって来ました。
(大元出版の刊行物がそれ。スピもオカルトもなく全ての本当が歴史が淡々と白日の下に曝されています。)

三角縁神獣鏡は大和で鋳造されて大和勢力の身内、協力する豪族らに配布されたもの。

きっかけはいわゆる武内宿禰さんがこれもいわゆる卑弥呼の都万豊連合王国の女王、宇佐豊玉媛の使節として魏帝国に派遣され、見事使命を果たして帰国しました。
その際、他のご同輩や随行員らには魏から高い冠位や贈り物が下されたのに
武内宿禰さんには一切なかった。後で、外様の武内宿禰には恩賞を与えないような工作がなされていた事をしって、
ケツを捲って九州勢を見限り、元の鞘の大和の磯城王朝にねがえります。
俺は魏に行って大命を果たしたんだ!との想いから自ら(たまたま中国から渡来していた鏡造り職人に命じ)鋳造したのが三角縁神獣鏡。
、、、要するに、魏に行った記念品を自分で作って親戚や身内、協力者らにばら蒔いた。
それに倣って大和の磯城王朝も大量に三角縁神獣鏡を鋳造して同じようにばら蒔いた。

、、、件の鏡造り職人。彼らは呉国の人たちで、
当時の中国の三国の勢力争い、思惑に翻弄されたすえやむを得ず日本に逃避したが、
九州勢らは敵の魏の属国と化した為、行く先を大和の磯城王朝にして流れ着いた方々。
Commented by utoutou at 2019-05-23 18:11
> たぬきさん
ご投稿ありがとうございました。
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