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六甲山と瀬織津姫 239 龍神のもとへ

室生龍穴神社(宇陀市)の奥の院「吉祥龍穴」へ。
同行したA子さんは久高海人(ウミンチュ)の娘。
王朝時代には、ご先祖が唐船に乗っていたという。
そのまた元の、未知の系譜をいま辿ろうとしている。


降り出した雨は強く、午後5時近くになっていた。
ガードレールのない山道に立つ鳥居が龍穴への入口。
聖域までは数十m下るが、階段道は整備されていた。
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古代、龍穴神社と言えば、この龍穴を指したという。
『室生村史』によると、いわゆる自然信仰の龍穴から
龍王寺となったのは貞観9(867)年のことのようで、
「従五位に叙せられ、神は善女龍王と名づけられた」と。

そう言えば以前、ブログ「神泉苑の善女龍王」で、
祈雨の修法において空海が呼んだという、
「善女龍王」について、語り部が推理したことがあり、
善女龍王=清瀧権現=龍宮乙女=如意輪観音=
歳徳神=弁財天=市杵島姫(瀬織津姫)と、出た。

それを思うと、A子さんの龍穴への旅は必然かも。
彼女は久高島で、龍宮乙姫とよく会話している。
 

龍穴への途中、「天岩戸」の御嶽もあった。
磐座の注連縄と「室生龍穴神社境内」の立て看板と。
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龍穴神社にあった案内地図を再掲。
室生龍穴神社本殿の北側に位置する龍穴へ、
先人たちはどのようにして山を分け入ったのか…。

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いよいよ、
参拝2度目となるA子さんの案内で龍穴へと下る。
龍穴の手前にある入母屋造りの拝所が見えてきて、
おおっっこれは…と、私は小さく歓声を上げた。

東南アジアでよく見られる木造家屋を思わせる屋根。
私には、龍神の原郷を偲ぶのに十分な光景だった。

やがて拝所に立ったA子さんの静かな祈りが始まる。
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太古の火山活動によるものだろうか? 龍穴の
周辺iには、柱状節理と思われる巨石の裂け目が。
中央構造線沿いに移動したらしい、海人族を想う。
その人々は龍神に祈雨祈願した龍の国の基層にいる。
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5分、10分。絶えず川は流れ、祈りは続いた。
カミンチュは龍穴のあたりに何モノかを視たようだ。
「巫女と…龍神が視えます」と、彼女は言った。

ところが、語り部に電話をすると、意外な展開が。
「龍穴の左側はどうなっていますか?」と聞くのだ。
「左側、ですか、大きな磐座があります」
すると、語り部は言った。
「そこに、男の方が立たれます。視えますか?」

海人族が祀った龍神ではなく、男の方とは一体?
 が、とき既に遅く、我々はもう龍穴を離れていた。










by utoutou | 2019-06-11 17:02 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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