龍の都・志賀海神社の歌碑で見た和歌の枕詞も、 在原業平の句と同じ、「ちはやふる」だった。 〜 ちはやふる 鐘(かね)の岬を過ぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神(すめがみ) 〜 「詠み人知らず」のこの句、原文だと印象が違う。 〜 千磐破 金之三崎 過鞆 吾者不忘 牡鹿之須賣神 〜 漢字で「千磐破」。これも朱に関連する枕詞か? というか、このゴツい表記にどんな意味が…? 「千早振」は、血原が降りてきたような真紅の様。 では、「千磐破」は朱のどんな様子を表すのか? しばらく経ってから、ふと気がついた。 鉱物資源としての朱の成り立ち示す言葉ならば、 ゴツい字面はむしろ当然なのではないだろうか…。 朱砂(丹生、水銀朱)は、岩の割れ目にできる。 松田壽男著『古代の朱』で、そのくだりを読む。 〜水銀はガス状で地殻から吹き上がってくる。 それが岩石の割れ目から地表にあらわれ、土壌の 持つ硫黄分と化合して血のような赤色を呈する 〜 それが古文献に見える、血原であり、 血川、血田、血浦、血坂などの地名だというのだ。 何も、血原だけが朱産地を表すわけではなかった。 〜 朱砂は赤色の土壌として部分的に地表を染めたり、 または粘土脈や石英脈、ないしは金・銀・銅などを 含む母岩の割れ目などに岩石状になって介在する 〜 母岩を勢いよく突き破っているように見える 岩石状の朱砂は、まさに「千磐破」と呼べそうだ。 〜 そのうち赤色の鮮明なものを採って、 古代人は土器や土偶に塗りつけて文様としたり、 墳墓に使用したりしていたのだ。〜(同書より) 5月末に訪れた黒塚古墳(天理市柳本町)の 石室に埋葬されていた鏡と、鮮やかな朱(模型)。 ところで、前回の「ちはやふる・卑弥呼」では、 志賀島の港を出て行く外航船には卑弥呼の朝貢品で ある朱(丹)が載っていたのではないかと書いたが、 気になるのは、卑弥呼の朝貢を担った古代船のこと。 卑弥呼が魏の国に上献したのは3世紀後半、 その時代に大陸へ渡ったのは、どんな船だったのか。 そのとき脳裡に1枚の写真が浮かんだ。 黒塚古墳の次に訪れた天理トレイルセンターで 撮った、古墳から出た「古代が描かれた埴輪」。 3世紀後半の築造という前方後円墳・ 東殿塚古墳(天理市中山町)から出土した 円筒埴輪に、その古代船は描かれていた。 航行中の船らしい。船の上には屋形を乗せ、 描かれた多くの櫂で、航行中であることが分かる。 黒塚古墳と東殿塚古墳は、いずれも大和古墳群に 属しており、その距離は約1㎞あるかないか…。 「卑弥呼女王」では、黒塚古墳を卑弥呼の墓と 伝える説を紹介したが、その仮説に立てば、 描かれた古代船は、卑弥呼の船と考えられるか…。 ちょうどそんなとき、語り部から電話がきた。 「マナシカタマというのは、葦船のことですか?」 線刻画の古代船も、よく見ると葦船のようだ。
by utoutou
| 2019-07-12 20:56
| 瀬織津姫
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