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六甲山と瀬織津姫 246 卑弥呼の船か

龍の都・志賀海神社の歌碑で見た和歌の枕詞も、
在原業平の句と同じ、「ちはやふる」だった。

〜 ちはやふる 鐘(かね)の岬を過ぎぬとも
  われは忘れじ 志賀の皇神(すめがみ) 〜

「詠み人知らず」のこの句、原文だと印象が違う。
〜 千磐破 金之三崎 過鞆 吾者不忘 牡鹿之須賣神 〜

漢字で「千磐破」。これも朱に関連する枕詞か?
 というか、このゴツい表記にどんな意味が…? 
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「千早振」は、血原が降りてきたような真紅の様。
 では、「千磐破」は朱のどんな様子を表すのか? 

 しばらく経ってから、ふと気がついた。
鉱物資源としての朱の成り立ち示す言葉ならば、
ゴツい字面はむしろ当然なのではないだろうか…。

朱砂(丹生、水銀朱)は、岩の割れ目にできる。
松田壽男著『古代の朱』で、そのくだりを読む。

〜水銀はガス状で地殻から吹き上がってくる。
それが岩石の割れ目から地表にあらわれ、土壌の
持つ硫黄分と化合して血のような赤色を呈する 〜

それが古文献に見える、血原であり、
血川、血田、血浦、血坂などの地名だというのだ。
何も、血原だけが朱産地を表すわけではなかった。

〜 朱砂は赤色の土壌として部分的に地表を染めたり、
または粘土脈や石英脈、ないしは金・銀・銅などを
 含む母岩の割れ目などに岩石状になって介在する 〜

母岩を勢いよく突き破っているように見える
 岩石状の朱砂は、まさに「千磐破」と呼べそうだ。

〜 そのうち赤色の鮮明なものを採って、
古代人は土器や土偶に塗りつけて文様としたり、
墳墓に使用したりしていたのだ。〜(同書より)


5月末に訪れた黒塚古墳(天理市柳本町)の
 石室に埋葬されていた鏡と、鮮やかな朱(模型)。
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ところで、前回の「ちはやふる・卑弥呼」では、
志賀島の港を出て行く外航船には卑弥呼の朝貢品で
 ある朱(丹)が載っていたのではないかと書いたが、
 気になるのは、卑弥呼の朝貢を担った古代船のこと。

卑弥呼が魏の国に上献したのは3世紀後半、
 その時代に大陸へ渡ったのは、どんな船だったのか。 

そのとき脳裡に1枚の写真が浮かんだ。
黒塚古墳の次に訪れた天理トレイルセンター
撮った、古墳から出た「古代が描かれた埴輪」。


3世紀後半の築造という前方後円墳・
東殿塚古墳(天理市中山町)から出土した
円筒埴輪に、その古代船は描かれていた。
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航行中の船らしい。船の上には屋形を乗せ、
描かれた多くの櫂で、航行中であることが分かる。
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黒塚古墳と東殿塚古墳は、いずれも大和古墳群に
属しており、その距離は約1㎞あるかないか…。

卑弥呼女王」では、黒塚古墳を卑弥呼の墓と
伝える説を紹介したが、その仮説に立てば、
 描かれた古代船は、卑弥呼の船と考えられるか…。

ちょうどそんなとき、語り部から電話がきた。
「マナシカタマというのは、葦船のことですか?」
線刻画の古代船も、よく見ると葦船のようだ。





by utoutou | 2019-07-12 20:56 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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