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六甲山と瀬織津姫 249 久高島へ

神女(カミンチュ)A子の持ち帰った石を追って、
久高島へ。A子はあの「ワニの船」を継ぐ旧家
である魚根屋(イン二ヤー)のカミンチュなので、
時代によっては日巫女、ノロだったかもしれない人。

沖縄では、門中の先祖を祀る神役を親戚から選ぶ
 風習をいまに残す地域があるが、久高島もそのひとつ。
私見では、あの邪馬台国の卑弥呼は「和邇の娘」。
すると、A子は卑弥呼の魂を継ぐカミンチュとなる。

そのA子が、地元の伝承では、近くに卑弥呼の住居跡
があると伝わる龍王山(奈良県天理市)の長岳寺の
奥の院跡で見つけた金に光る石を、島に持ち帰った。


祈りながらそれを掌に収めた彼女のその行動は、
側で見ていてもごく自然に感じられ、私には、
卑弥呼一族の辿ったかもしれない航路の痕跡を、
カミンチュの直感で遡ろうとしているかに見えた。
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久高島に着いた23日(火)の夕方、開口いちばん
  聞くと、石はシマーシ浜↓近くの御嶽に置いたという。
  観光用ガイドブックには載らない、島で最古の御嶽に。
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久高島の始祖であるアナゴノシー・アナゴノファー
夫婦が住み、時代は大きく下って島立て中興の祖と
私が考える、シラタル・ファガナシー夫婦もまた、
ここに先祖を鎮めて住んだと伝わる、至聖の御嶽だ。
↓ シマーシ浜から御嶽のある方向。雲が動いている。
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島に着いてすぐ御嶽へひとりで行ってみたが、
既に内部は暗く、肝心の石がどこに祀られているか、
私には分からなかった。同化してしまったのか?


再びA子に聞いてみると、なんと驚くべき
展開を経ていたことを知った。曰く、島へ帰って
まず、石は久高島の最高地点である三角点に置いた。
その後、直感に従って、その御嶽に遷したのだと。

またさらに驚いたことに、いま島に石はひとつ
しかなく、もうひとつは、奈良から帰る旅の途中で
 立ち寄った福岡県喜麻市のお寺に置いてきたのだと。

その周辺地域は、久高島や玉城、そして卑弥呼
とも考古学的に繋がりのある場所だった。もちろん、
 A子自身は祈るためにその地を訪れに過ぎないのだが…。


おそらくは閉ざされていた久高島の古代史に、
カミンチュを通して新たな光が差し込んでくるのか?

島の西海岸から5㎞先の本島東海岸を眺めていると、
19時ごろ、斎場御嶽にこの上なく美しい夕陽が沈んだ。
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by utoutou | 2019-07-25 23:09 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented by 徹平 at 2019-07-26 23:37
ごぶさたしています。
ここまで紐解くのに、とても大変だったことと思います。
本当にご苦労様です&ありがとうございます。
ブログを読みながら、僕のDNAは日置族→出雲臣族→和邇氏なんだなと、首を縦に振るばかりです。
とても嬉しい限りです。
玄界灘の島々のことも気になってた時だったので、和邇氏とウサ族の関係性も知ることができて、良かったです。
沖ノ島のことももっと知りたい、三女神のタキリヒメのことも読みたい、対馬や壱岐のことも知りたいなどなど、学びたい気持ちが湧いてきます。
これからも楽しみにしています。
Commented by utoutou at 2019-07-28 06:51
> 徹平さん
お久しぶりです。探求の旅が進んでいるご様子、何よりです。お話し会でお会いした後に行かれたのは霧島神宮でしたか。私もいまようやく、その境地に至ることができそうです。随分と時間がかかりました^^; 3つに割れて失われた1ピースの痕跡は、南九州にありそうですね。またご連絡いただけたら嬉しいです。
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