神女(カミンチュ)A子の持ち帰った石を追って、 久高島へ。A子はあの「ワニの船」を継ぐ旧家 である魚根屋(イン二ヤー)のカミンチュなので、 時代によっては日巫女、ノロだったかもしれない人。 沖縄では、門中の先祖を祀る神役を親戚から選ぶ 風習をいまに残す地域があるが、久高島もそのひとつ。 私見では、あの邪馬台国の卑弥呼は「和邇の娘」。 すると、A子は卑弥呼の魂を継ぐカミンチュとなる。 そのA子が、地元の伝承では、近くに卑弥呼の住居跡 があると伝わる龍王山(奈良県天理市)の長岳寺の 奥の院跡で見つけた金に光る石を、島に持ち帰った。 祈りながらそれを掌に収めた彼女のその行動は、 側で見ていてもごく自然に感じられ、私には、 卑弥呼一族の辿ったかもしれない航路の痕跡を、 カミンチュの直感で遡ろうとしているかに見えた。 ![]() 久高島に着いた23日(火)の夕方、開口いちばん 聞くと、石はシマーシ浜↓近くの御嶽に置いたという。 観光用ガイドブックには載らない、島で最古の御嶽に。 ![]() 久高島の始祖であるアナゴノシー・アナゴノファー 夫婦が住み、時代は大きく下って島立て中興の祖と 私が考える、シラタル・ファガナシー夫婦もまた、 ここに先祖を鎮めて住んだと伝わる、至聖の御嶽だ。 ↓ シマーシ浜から御嶽のある方向。雲が動いている。 ![]() 島に着いてすぐ御嶽へひとりで行ってみたが、 既に内部は暗く、肝心の石がどこに祀られているか、 私には分からなかった。同化してしまったのか? 再びA子に聞いてみると、なんと驚くべき 展開を経ていたことを知った。曰く、島へ帰って まず、石は久高島の最高地点である三角点に置いた。 その後、直感に従って、その御嶽に遷したのだと。 またさらに驚いたことに、いま島に石はひとつ しかなく、もうひとつは、奈良から帰る旅の途中で 立ち寄った福岡県喜麻市のお寺に置いてきたのだと。 その周辺地域は、久高島や玉城、そして卑弥呼 とも考古学的に繋がりのある場所だった。もちろん、 A子自身は祈るためにその地を訪れに過ぎないのだが…。 おそらくは閉ざされていた久高島の古代史に、 カミンチュを通して新たな光が差し込んでくるのか? 島の西海岸から5㎞先の本島東海岸を眺めていると、 19時ごろ、斎場御嶽にこの上なく美しい夕陽が沈んだ。 ![]()
by utoutou
| 2019-07-25 23:09
| 瀬織津姫
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Comments(2)
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ごぶさたしています。
ここまで紐解くのに、とても大変だったことと思います。 本当にご苦労様です&ありがとうございます。 ブログを読みながら、僕のDNAは日置族→出雲臣族→和邇氏なんだなと、首を縦に振るばかりです。 とても嬉しい限りです。 玄界灘の島々のことも気になってた時だったので、和邇氏とウサ族の関係性も知ることができて、良かったです。 沖ノ島のことももっと知りたい、三女神のタキリヒメのことも読みたい、対馬や壱岐のことも知りたいなどなど、学びたい気持ちが湧いてきます。 これからも楽しみにしています。
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> 徹平さん
お久しぶりです。探求の旅が進んでいるご様子、何よりです。お話し会でお会いした後に行かれたのは霧島神宮でしたか。私もいまようやく、その境地に至ることができそうです。随分と時間がかかりました^^; 3つに割れて失われた1ピースの痕跡は、南九州にありそうですね。またご連絡いただけたら嬉しいです。
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