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六甲山と瀬織津姫 250 卑弥呼に呼ばれて

久高島のカミンチュが奈良の長岳寺奥の院跡で
拾った石を預けたお寺は、聖天山・智山寺という。
(福岡県嘉麻市西郷、市町村合併する前は飯塚市)
住職が久高島のリピーターという縁で、A子は奈良へ
行った帰りに、ふと訪ねてみようと思ったという。
※鐘楼を撞く住職、写真は智山寺HPから拝借。
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ところが、初めての土地で体調を崩してしまった。
聞けば、体調不良はどうやら神ダーリ(神がかり)
のせいだったようで、彼女自身がそのことを悟り、
石のひとつをここに預けることに決めると回復した。
神は、石のあるべき場所を彼女に示したのだろうか?
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そもそも、長岳寺奥の院跡へ行ったのは、彼女が
その周辺が、「卑弥呼の都跡ではないか」と感じた
からだったのだが、とはいえ、実際に奥の院跡に
着いても確証を得ることはできず、その代わりに、
金色に光るふたつの石を持ち帰ることにしたのだった。

ということは、やはり、智山寺のある嘉麻市西郷は、
卑弥呼あるいは邪馬台国に何かしらの関係がある
 場所なのだろうと、私自身はその神託を読み解いた。
 久高島のカミンチュは、卑弥呼に呼ばれたのだと…。


それにしても、知り合いとはいえ、彼女はなぜ
嘉麻市の智山寺へ立ち寄ろうと、思いついたのか?

私なりに久高島で一晩考えても分からず、本島に
戻る高速船のなかでも考え続けていたが、玉城百名
 のアマミキヨ渡来地・ヤハラヅカサで、気がついた。
海路、水路、航路…アマミキヨの辿った道筋が肝だ。
やはり、これはゴホウラ貝つながりに違いない…。
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智山寺は遠賀川(おんががわ)の中流域にある。
筑豊の中心地域を貫いて南に位置する源流域は
嘉麻市の馬見山(うまみやま)で馬見神社が鎮座。
饒速日命を始祖とする物部氏の伝承があるという。

いっぽう、遠賀川中流域の丘陵地帯にある
立岩遺跡(弥生時代中期)からは前漢鏡や、甕棺
からは、玉城の垣花樋川遺跡から出たものと同型
 の南島産ゴホウラ貝の腕輪をした遺体が発見された。

少なくとも、弥生時代中期、遠賀川と玉城の垣花
の間には「貝の道」があり、交易が行われていた。

そもそも、遠賀川の「おんが」の語源は何か。
日本書紀に神武一行が着いた岡の水門(みなと)
という地名が見えるが、その「おか」の転訛とも。

また古来、遠賀川河口近くの岡の水門(岡湊)
は、九州における和邇氏の本拠地だったという。

奈良・龍王山でカミンチュの拾った石は、
物部氏、和邇氏、遠賀川、久高島、そして…
琉球における和邇氏の本拠地だろうと語り部の言う
    玉城の和名垣花(旧集落名)をつないで見せるか。 
  ※関連記事は→「CIAが封印した垣花の御嶽〈4〉」 

by utoutou | 2019-07-31 07:39 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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