語り部と「甑(こしき)」について話をした。 前日から「気になって仕方がない」とのことだった。 きっかけは、前回のブログに書いた河姆渡遺跡 (中国浙江省)から出土した甑の写真だった。 1973年に発見され、発掘作業が行われた 中国河姆渡(かぼと)遺跡から出土したという甑は、 なんと7〜5千年前(旧石器時代)のものというのが 興味深く、模型写真をネットから拝借して掲載した。 中国浙江省の寧波にある河姆渡遺跡の外観。 近くにはあの徐福村もある、長江河口の史跡。 ![]() ![]() 河姆渡遺跡から出土した甑(河姆渡遺跡博物館) いちばん上に乗せる蓋は出土していないようだ。 ![]() 「甑は何をするために使うものだったのですか?」 語り部は新たなイメージを脳内で視ているのか。 「書いた通り、粟や米や酒麹を蒸す道具のようです」 電話の向こうで沈黙があった後、さらに言った。 「粟・米・酒ということは、やはり蒸し器ですか?」 「はい…」 「他に用途はないですか?」 「甑の底にはたくさんの穴が空いているので、やはり 蒸し器かと。他に使い方が分かったのですか? 」 「どうも、私には、レンキンガマに視えるんです」 「レンキンガマ…錬金釜ですか…!? アシヤ族は 錬金釜を持って海を渡ってきたということですか?」 「はい」 とうとう繋がったか、ちはやふる…と思う。 日本列島はまるで水銀鉱床の上に乗っているような 土壌で、朱産地の山は朱色(血色)だったという。 原鉱である朱砂から吹き出した水銀を蒸留(エア・ リダクション)する土器を、古来「はそう」と呼んだ。 確かに、それは甕と甑からなる土器が主流だった。 なかでも、精錬して金を得るのが「錬金釜」だ。 その意味で黄金の国ジパングの歴史は、古代に遡る。 いま、錬金釜と言えば誰もが思い浮かべるのは、 ドラゴン・クエストに登場する錬金釜のアイコン。 いや、ドラクエはやったことがないのだけれども。 ![]() ドラクエのアイテム・錬金釜の形状を伝えると…。 「その蓋つきの鍋を、竃の上の甕の上に乗せると?」 「はい、甑になりますね。でもまさか…」 「甑は、錬金釜の一部だったのだと思います」 「アシヤ族は、錬金釜を持って六甲山へ移動したと?」 「そういうことになりますね」 実は2年前の4月中旬、関西に行っていた私は、 保久良神社に参り、さらに金鳥山への登山道を お花見がてら登っていた。傍に細い脇道があった。 もしやドロカエシ沼への道かと、妄想したものだ。 ![]() ドロカエシ沼。 それは、『相似象学誌』(宇野多美恵氏・編) カタカムナに関するエピソードとして登場する。 古代アシヤ族が残したカタカムナ文献を解読した 物理学者・楢崎皐月氏は、その末裔・平十字 (ひらとうじ)の案内で、金鳥山のドロカエシ沼へ 行き、黒い球を発見。すると、「これは金だ」と、 「霊感が涌いた」。砥石で磨くと内から光を発した のだという。以下、日記の該当部分を引用。 〜霊感とは元素転換技術(錬金)の可能性だ。〜 〜掌に入るほどの金色純然たる球は、純金の比重を 持つと思われたが、付近には、いわゆる金鉱石が まったくないことは分析によってよく分かっていた。 しかし、疑問を確かめる間もなく(後略)〜 楢崎の助手がそれを持ち帰り、行方不明となった。 京都大学の学生だったという助手はいまどこに? そもそも、金が採れない「金鳥山」とは意味深だ。 (※ドロカエシ沼の関連記事はこちらにも)
by utoutou
| 2019-08-11 12:11
| 瀬織津姫
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Comments(4)
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こんにちは。
英祖について、おさらいさせて下さい。 恵祖世王には子どもがいない。 今帰仁の湧川按司である英祖が養子に入った。 英祖の母親は、百名から湧川に嫁いだ。 系図にある英祖の兄弟姉妹は、恵祖世王とは関係なく、英祖の血縁関係の者たち。 その中の1人が義本王の后になっている。 この解釈でOKですか? 豊見城の長嶺グスクの近くに、英慈王の墓って表記されているところがあるのですが、そこのお墓はしっくりこなくて。 英祖系統ではあると思うのですが、英慈王というより、湧川が関係する者のお墓なのかなと思いつつ、頭の中を整理してみようと思いました。
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> 徹平さん
すっかり遅れました。申し訳ありません。 ご質問の英祖の件、玉城の口伝では、この方は今帰仁ではなく玉城の湧川按司です。 お母さんは百名の上門(いーじょう)家から玉城湧川按司(=父親、英祖と同じ呼称)に嫁ぎました。やがて、その子・英祖は恵祖王家に養子入りして英祖王に。英祖の妹は義本王の妃になりました。王統二代に渡り、王家と御先天孫氏と呼ばれる上門家との縁組が続いたわけですね。 さて、長嶺グスクの近くにある英慈王のお墓ですが、こちらは語り部にも確認したところ、「英慈王の子孫のお墓」ということでした。源為朝や舜天のお墓と同様に、英祖王統のお墓も各地にあると。当ブログでは、英慈王のお墓は(現在の琉球ゴルフ倶楽部内にある)竹山(だきやま)のアジシー(別名・赤肉のお墓)にあると紹介しています。 ![]()
ありがとうございます。
英祖王は玉城の湧川按司、英慈王のお墓はゴルフ場内で、長嶺にあるのはその子孫。 とてもスッキリしました。 数年前に竹山の記事を読んだ時は、天孫子系統の誰かの墓って読み違えしてました。 百名を歩いてて思ったのですが、玉城湧川按司たちが生活していた場所は、もしかして垣花グスクあたりですか? 最近は、スサノオをはじめとするミントンのことばかり気になって、おかげさまで楽しいです。
> 徹平さん
「竹山のアジシー」はイリクと呼ばれる代々の墓と聞きました。「赤肉のお墓」という名前からして相当な古代からの場所かと思います。 垣花グスクと湧川按司の関係は、詳しくは伝わっていないようです。ただ、垣花樋川周辺の崖下には、按司時代の戦場を思わせる痕跡があったようなので、やはりそこより高地の垣花が居城だったのではないでしょうか。
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