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六甲山と瀬織津姫 253 アシヤ族の錬金釜

語り部と「甑(こしき)」について話をした。
前日から「気になって仕方がない」とのことだった。
きっかけは、前回のブログに書いた河姆渡遺跡
(中国浙江省)から出土した甑の写真だった。

1973年に発見され、発掘作業が行われた
中国河姆渡(かぼと)遺跡から出土したという甑は、
なんと7〜5千年前(旧石器時代)のものというのが
 興味深く、模型写真をネットから拝借して掲載した。


中国浙江省の寧波にある河姆渡遺跡の外観。
近くにはあの徐福村もある、長江河口の史跡。
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寧波は、上海の南。東シナ海にごく近い町。
河姆渡遺跡は杭州湾の南岸周辺の地域に広がる。
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河姆渡遺跡から出土した甑(河姆渡遺跡博物館)
いちばん上に乗せる蓋は出土していないようだ。
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「甑は何をするために使うものだったのですか?」
 語り部は新たなイメージを脳内で視ているのか。

「書いた通り、粟や米や酒麹を蒸す道具のようです」
電話の向こうで沈黙があった後、さらに言った。
「粟・米・酒ということは、やはり蒸し器ですか?」
「はい…」
「他に用途はないですか?」
「甑の底にはたくさんの穴が空いているので、やはり
蒸し器かと。他に使い方が分かったのですか? 」
「どうも、私には、レンキンガマに視えるんです」
「レンキンガマ…錬金釜ですか…!? アシヤ族は
 錬金釜を持って海を渡ってきたということですか?」
「はい」


とうとう繋がったか、ちはやふる…と思う。
日本列島はまるで水銀鉱床の上に乗っているような
 土壌で、朱産地の山は朱色(血色)だったという。

原鉱である朱砂から吹き出した水銀を蒸留(エア・
リダクション)する土器を、古来「はそう」と呼んだ。
確かに、それは甕と甑からなる土器が主流だった。
なかでも、精錬して金を得るのが「錬金釜」だ。
その意味で黄金の国ジパングの歴史は、古代に遡る。


いま、錬金釜と言えば誰もが思い浮かべるのは、
ドラゴン・クエストに登場する錬金釜のアイコン。
いや、ドラクエはやったことがないのだけれども。
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ドラクエのアイテム・錬金釜の形状を伝えると…。
「その蓋つきの鍋を、竃の上の甕の上に乗せると?」
「はい、甑になりますね。でもまさか…」
「甑は、錬金釜の一部だったのだと思います」
「アシヤ族は、錬金釜を持って六甲山へ移動したと?」
「そういうことになりますね」


実は2年前の4月中旬、関西に行っていた私は、
保久良神社に参り、さらに金鳥山への登山道を
お花見がてら登っていた。傍に細い脇道があった。
もしやドロカエシ沼への道かと、妄想したものだ。
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ドロカエシ沼。
それは、『相似象学誌』(宇野多美恵氏・編)
カタカムナに関するエピソードとして登場する。

古代アシヤ族が残したカタカムナ文献を解読した
物理学者・楢崎皐月氏は、その末裔・平十字
(ひらとうじ)の案内で、金鳥山のドロカエシ沼へ
行き、黒い球を発見。すると、「これは金だ」と、
「霊感が涌いた」。砥石で磨くと内から光を発した
のだという。以下、日記の該当部分を引用。

〜霊感とは元素転換技術(錬金)の可能性だ。〜

〜掌に入るほどの金色純然たる球は、純金の比重を
持つと思われたが、付近には、いわゆる金鉱石が
 まったくないことは分析によってよく分かっていた。
しかし、疑問を確かめる間もなく(後略)〜

楢崎の助手がそれを持ち帰り、行方不明となった。
京都大学の学生だったという助手はいまどこに?
そもそも、金が採れない「金鳥山」とは意味深だ。
(※ドロカエシ沼の関連記事はこちらにも)



by utoutou | 2019-08-11 12:11 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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