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六甲山と瀬織津姫 255 アシヤ族 vs.神武軍

水銀と硫黄の化合物である硫化水銀(賢者の石)
とは、大陸や日本で採れた辰砂(朱、丹)のこと。
赤色顔料や不老不死の霊薬や錬金の触媒になった。

錬金術というと、神話か黒魔術か宗教的な秘儀か、
はたまたドラクエか…といったイメージしか
なかったが、カタカムナ文献を残したアシア族は
錬金術師だったかと考えてみると、それはたちまち 
アマミキヨ探求に不可欠なキーワードとなってくる。

アシヤ族(甑の隼人族、熊襲)は、ワニ族つまり、
超古代の琉球に存在したと伝わる天孫氏王朝の民と、
濃厚な交流関係か姻戚関係にあったかもしれない。

アシヤ族は、六甲山の「芦屋」に蟄居していた。
一族の終焉の地に関しては、こんな話が残っている。
「アシヤ族の族長・アシヤトウアンは、天皇家
の先祖と戦って敗れ、九州で死んだ」と、金鳥山
にいたカタカムナ人の末裔・平十字は言ったという。

北九州にも、「芦屋」がある。福岡県遠賀郡芦屋町。
遠賀川河口にあたり、古来、岡水門(おかのみなと)
と呼ばれた。先月のブログ「卑弥呼に呼ばれて」に
も書いたが、その地に東征中の神武軍が立ち寄り、
岡田宮(現在の岡田神社、北九州市八幡西区)を
築いて1年間も逗留したと、古事記は伝えている。
 
 芦屋は文字通り、産鉄のスズ鉄が生る葦原だった。
そこに先住していたアシヤ族は、同様にスズ鉄
 を求めた神武軍に抗戦して敗れた…と、推理できる。
 一説には、その地にはワニ族も物部族もいたという。

では、錬金に必要な水銀朱を巡る戦いはどうだったか?
 神武の目的地は列島の一大朱産地・大和の宇陀だった。
 神武軍は産鉄民であり、かつ金属採鉱民でもあった。

金鳥山にいたアシヤ族もまた楢崎氏の言う通り、
 そして、語り部の視た通り、錬金族だったならば、
 六甲でも水銀朱を採掘していたに違いないとなるが…。


六甲山には朱産地が2ヶ所あった。そこに、
 鍛治の女神・丹生都比売を祀る丹生神社が鎮座する。

丹生(にぶ)神社(神戸市兵庫区山田町)と、
高羽丹生(たかはにぶ)神社(神戸市灘区高羽町)。
そして、もう1ヶ所あることに、いま気がついた。


↓越木岩神社(西宮市甑町)にある稚日女尊の磐座。
思えば、稚日女尊(命)は丹生都比売の別名だった。
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越木岩神社に参ったときには廻れなかったが、
境内地図を見ると、稚日女尊宮とある(赤矢印を加筆)。
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それならばもう一社、挙げなければならない。
神功皇后伝説の舞台・生田神社(神戸市中央区)。
こちらの主祭神もまた稚日女尊であった。 
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 古代、六甲山を貫く水銀鉱脈があったのだろうか? 
神功皇后の「三韓遠征」にも、朱が絡んでいたのか?

by utoutou | 2019-08-26 11:59 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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