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六甲山と瀬織津姫 256 稚日女命ふたたび

           
アシア族も神武もまだいない、人類誕生以前のこと。
1500万年前、六甲山にも水銀鉱脈ができたらしい。
地質学的には、「新第三紀中新生」と呼ぶ。
『大地のおいたち』(大阪地学団体研究会大阪支部・編)
より、当時の奈良盆地周辺の火山活動を示す図を拝借。

左上に、六甲山と甲山が記されており、その
   噴煙の規模は室生の比ではないが、噴煙が立ち上り、  
 水銀朱(丹生)の鉱床が生成した可能性を物語っている。
それは大地にできた活断層の亀裂に形成されるという。
いずれの火口も、現在は風化してしまっている。
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   蒲池明弘氏は、著書『邪馬台国は朱の王国だった』
  で、上のイラストを次のように解説している。

〜(1500万年前)日本列島で一万年に一度あるか
どうかという「破局的噴火」とよばれる超巨大噴火
 が想定されています。宇陀市と桜井市の朱の鉱床は、
この火砕流エリアの西側一帯です。〜


 六甲山・甲山↓は神功皇后の「三韓遠征」所縁の地。
伝承では、神功は三韓から持ち帰った「黄金の鶏」や
「神の石」を六甲山頂に、「如意宝珠」や「金甲冑」など
を甲山山頂に埋めたということになっている。

六甲山や甲山を朱産地と見なせば、また三韓遠征の背景
 に軍事でなく朱砂交易があったと考えれば、妙に納得…。
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『紀』が神功と卑弥呼を同一人物とした理由もまた…。
どちらも「朱(交易)の女王」なら、それも納得だ。


さて、高野山を含む紀伊国の北東部から吉野山に
かけての一帯にも水銀朱が広がっており、
丹生氏が古くから朱の採掘精錬を行なっていた。
その守護神が後に稚日女命と呼ばれる丹生都比売だ。

歴史は黙して語らないが、最近はこう考えている。
丹生氏は六甲山にも植民していたのだろうと…。

稚日女尊を祀る生田神社(神戸市中央区)
の由緒は、次のように記している。

〜神功皇后が三韓外征の帰途、今の神戸港にて船が
動かなくなったために神占を行なったところ
稚日女尊が現れ、「私は活田長峡国に居りたい」と
申されたので、海上五十狭茅(うながみのいさち)
という者を神主として祀られた。〜
そして、
〜当初は砂山(いさごやま)に鎮座していた 〜と。


砂山に、古来、景勝地として知られた布引の滝がある。
現在は麓にJR新神戸駅ができ、徒歩20分で雄滝に着く。
2年半前に登り、ブログ「ブラタモリ神戸」を書いた。
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登山道は生田川に沿うように整備され、登り口には、
砂橋(いさごばし)があったことを、覚えている。
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「下をのぞいてみましょう」との説明につられて、
橋の下を覗き込んだことを、いまシミジミと振り返る。
生田川は、「断層に沿って流れる川」だったのだ。
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画像を改めて見て「まさに長い峡谷のようだ」と思う。
稚日女命が神功皇后に告げた、「活田長峡国」か。
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 朱の鉱床は断層と呼ばれる大地の裂け目から現れた。
「砂山」とは、本来は「朱の砂山」ではなかったか?

 もちろん既に風化して、太古の痕跡は微塵もないが、
もしそうなら、この長峡の地に丹生都比売はいた。
 高羽丹生神社までは約4㎞、金鳥山まで約9㎞の距離…。




by utoutou | 2019-09-02 05:47 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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