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六甲山と瀬織津姫 261 財宝の道

昨日の朝、奈良・二上山の落日を夢に見て、
あ、きょうは秋分の日だったと気がついた。

大和盆地からその光景を見たことはないので、
水谷慶一氏の著『謎の北緯三四度三二分を
ゆく・知られざる古代』で見たことのある↓写真
(撮影・小川光一氏)が、夢の作用で甦ったようだ。
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今年4月に参った檜原神社(奈良県桜井市)。
あのときも鳥居から正面(西)の二上山を遠望、
太陽の道に沈む春秋「二分」の落陽を想っていた。
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太陽の道(↓写真のみ日経新聞より拝借)。
『知られざる古代』の序に、著者はこう書いた。
〜北緯34度32分が日本古代の「太陽の道」
だったことを著者は検証した。その中心が
大和の三輪山に近い箸墓で、東西に延ばした
その線上に、ふしぎと古代遺跡が集中している。
これが聖なる太陽の道であって…(後略)〜
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太陽の道が誰によって作られたかについては
 触れず、水谷氏は「奇蹟」と記すのみだったが、
実は前回のブログで天香具山の天岩戸神話を
書いた後、私は思いもよらない事実を悟った。
(無知だっただけなのかもしれない…笑)

太陽の道は水銀朱の眠る「花崗岩の道」だ。

天岩戸神話の舞台・天香具山(奈良県橿原市)
には、天香具山神社が鎮座しているという。
背後には「天の岩屋戸」と言われる巨石があり、
なんとそれが花崗岩の巨石だということを
山の辺の道散策ガイド」の記事で初めて知った。

天照大御神が籠もった岩屋が花崗岩だった
という伝承は、いくつかの仮説に私を導いた。

☆神話で岩屋から現れた天照大御神は、
海人族(金属採掘民)の女神(丹生津姫、
瀬織津姫)の神徳を受け継ぎ、転生した。

☆記紀に朱の女神・丹生津姫が登場しないのは、
そのためだった。やがて海人族の山師たちは大和
   から、後にそう呼ばれる「蝦夷の国」へ北上した。  

☆天岩戸神話は、花崗岩質の「丹生の道」を 
朝廷の管理下に置き、独占採掘するための布石。
大陸からの新技術を持った民が台頭していたか。


さて、太陽の道は中央構造線にほぼ沿っている
と言われるが、正しくはその北(内側)を走る
領家帯という地層に存在していた。下の地図では、
淡路島を貫通して東西に伸びるピンク色の部分。
その基盤地層を占めているのが「領家花崗岩」だ。
(イラストは山口大理化学部サイトから拝借)
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記紀の成立当時、大和朝廷は半島・大陸との
交易に金銀銅などの貴金属を使ったと、また
それが大和朝廷の外交を支える経済基盤だった
  と、浅井壮一郎氏は、『古代製鉄物語』に記した。

大和朝廷にとって「太陽の道」は「財宝の道」。
思えば、丹(辰砂、水銀朱)は金・銀・銅の
 鉱床で採れる。水銀はそれらの母岩の割れ目に、
岩石状に付着しているものなのだという。
逆に言えば、花崗岩の地層からは金・銀・銅と
いった金属も同時に採掘されていたことになる。

 さらに思えば、名だたる金鉱の産地は、その
 土壌に太古のマグマ…花崗岩を内包していた。
佐渡金山、金華山、石見銀山、金剛山、
生駒山、葛城山、そして秩父の武甲山なども。

六甲山もまた、花崗岩の山だった。

「ちょっとした発見をしたかもしれない…」
 と、夕方になってから語り部に電話した。
 すると、ずばり神人らしい指摘が返ってきた。

「朱の女王は誰でしたか?」
「日と火と霊を司祭する日巫女ですね」
「またの神名は?」
「撞賢木厳之御魂天疎向津姫(瀬織津姫)。
 あ、だから、六甲山の廣田神社に祀られた
 というわけですね。天照大御神の荒魂として…」
悟りは、つづく…。

by utoutou | 2019-09-24 20:20 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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