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六甲山と瀬織津姫 262 五色塚古墳

2泊3日の関西旅で、あちらこちらを廻ってみた。
 東京から六甲へ行き琉球を探る旅は、もう何回目か。
 数えていないが、両手の指の数はゆうに越えている。

先週木曜日。朝いちばんで羽田空港〜神戸空港へ。
ポートライナーで三ノ宮へ移動、レンタカーに乗る。
11時前、五色塚古墳(ごしきづかこふん)に到着。
4世紀後半の築造という前方後円墳の上に立った。

 手が届きそうに見える明石海峡大橋と、淡路島。
 築造当時は海だった眼下を、JR神戸線が行き交う。
 
 きょう、南淡路の鳴門海峡で渦潮を見られるのか? 
可能性はかなり薄いが、渦潮は琉球の珠(まぶい)
 を知る「鍵」になるかも…という予感が少しあった。 
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兵庫県一大きいという五色塚古墳の全長は194m。
円墳上で、係の人が見学グループに説明していた。
「日本書紀に神功皇后の夫・仲哀天皇の偽墓と
 書かれていますが、被葬者は分かっていない…」

「被葬者は不明」という謎は、そのまま、
日本史における「4世紀の謎」に繋がりそうだ。

一説には、
墳丘の規模や設計が、垂仁天皇妃の日葉酢媛の墓
に比定される奈良の佐紀陵山古墳と共通するという。

倭の王族の一人か、倭王権が近づいた権力者なのか。
いずれにせよ被葬者は単なる地方豪族ではなさそうだ。
が、朝鮮半島や大陸との重要な海路の上に立つ古墳が、
昭和40('65)年まで調査復元されなかった不思議。
被葬者が明らかだからこそ、「不明」とされたのか?
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興味深いことが、資料館で頂戴したパンレット
に載っていた。「上二段の葺石は分析の結果、
淡路島の東側の海岸で産出するものである…」と。
前回ブログに書いた「太陽の道」の花崗岩だろうか。
ただし、大和朝廷がそのレイラインを描く遥か前の話。
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もうひとつ興味深いのは、朝顔型の円筒埴輪。
「埴輪はほとんどが鰭付円筒埴輪で、4〜6本に
1本の割合で鰭付朝顔型埴輪が立てられていました」
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朝顔型埴輪については、現地に着いたそのとき
 から、吸い寄せられて、目が離れなかった。
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これは、もしや、甑(こしき)の埴輪ではないか?
五色(ごしき)とは、甑のことなのかもしれない…。
覗いても蒸留器らしき網状の底は見えなかったが、
前方後円の墳丘に並ぶ朝顔型の埴輪は、被葬者が
 朱の交易で財を成した海人一族の首長か? と思わせた。
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何日か前に、語り部と交わした会話がまた甦る。
五色塚古墳の話をすると、彼は意味深に言った。
「その話を聞くと、どうしてだか渦潮が見えます」

世界一大きい渦潮ができる鳴門海峡(下の赤丸)
五色塚古墳(陸側、海沿いの赤丸)
神功皇后伝説の残る丹生山(上の赤丸)
点と点を並ぶ線が、被葬者を物語る…気がする。
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by utoutou | 2019-10-02 19:20 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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