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六甲山と瀬織津姫 265 明石は赤石

中央に蛭子社・左に稲荷社・右に猿田彦社。
海神社(神戸市垂水区宮本町)の境内北西に
鎮座する摂社の赤い鳥居を見上げたとき、よほど
小躍りしていたのか。撮った画像が歪んでいる。


倉稲魂の幟を見つけ、お、セーナナーと思う。
琉球信仰の視点では、宇迦(龍神)の御魂。
海人七氏族の航海安全を守護する神霊のことだ。
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まず参拝したのは、猿田彦神と七福神。
久高島の信仰では猿田彦神はニライ大主となる。
綿津見神・豊玉彦の子(龍神)として崇める人も。
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蛭子社の前には幟がぎっしり立っている。
イザナギ・イザナミの長子ながら葦舟に乗せられ
流されたヒルコ神か、恵比寿神か、事代主か、
由緒に違いはあれ、兵庫県内には蛭子神社が107社
ある(西宮神社の調査)というが、こちら五色塚古墳
に最寄りの蛭子社。その被葬者との関係はあるか?
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いや、五色塚古墳と関係がないわけはなかった。
五色塚古墳の被葬者は、明石国造・都弥自足尼と
推理したが、そもそも三韓遠征をを成功に導いた
 のは、石坂比売(いわさかひめ)が丹生津比売から
授かった「我をよく祀れば戦勝する」といった
 神託の通りに仕立てられた、「赤い船団」だった。
(『播磨国風土記逸文』の意訳) 

  石坂比売は、明石国造一族の巫女と見られている。 
いっぽう、海神社の祭神・綿津見神は、神功皇后
の帰還の際、航海を守護した海神である。

 五色塚古墳と海神社の関係は、
「神功」と「明石」と「国造」で繋がっている。
すると、明石の語源は「赤石=丹生」ではないか。
丹生津比売が、「赤い石で船を塗れ」と宣った 
 丹砂の採れた丹生山は、五色塚から20㎞の北…。


ところで、海神社は中世から近世にかけての
時代、「日向大明神」と呼ばれたという。
   なんなんでしょうと聞くと、語り部が言った。  
「日向の神は、奈良の三輪山の祭神でしたよね」

三輪山…? ピンとは来ないが、覚えてはいる。
「ああ、いつか言っていましたよね。
三輪山の日向の神は、六甲山の保久良神社
の祭神・椎根津彦と関係があるように視えると」

播磨・明石、六甲・保久良神社、大和・三輪。
随分と範囲が広くなったが、話を整理すると…。
この神々は、同祖・同族だったかもしれない。
そして、おそらく赤石(丹生)を掌握していた。

・日向大明神(海神社の祭神・綿津見神)
・日向の神(三輪山大神神社の摂社・祭神)
・椎根津彦(別名は珍彦、保久良神社の祭神)
・都弥自足尼(明石国造、五色塚古墳の被葬者?)
・石坂比売(丹生津姫が憑いた明石国造の巫女)


3年半前、「珍彦(うずひこ)は倭の大王」を
書いた頃は思いもよらなかったことだ。つづく…。
※写真は五色塚古墳のパンフレットより拝借。
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by utoutou | 2019-10-12 14:06 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(6)
Commented at 2019-10-13 10:02 x
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Commented by utoutou at 2019-10-17 13:18
> まこまこさん
こんにちは。台風にご心配まで…。大丈夫でした。が、各地で多くの犠牲が出たニュースを見ると胸が詰まりますね。1日も早い復旧を祈っています。
さて、明石の情報をいろいろありがとうございます。播磨は次に訪れたい場所になりました。播磨と摂津の境目。そして丹後への入口。大和、出雲への海の動脈でもある。で、おそらく稲爪神社の伊和都姫が、今後しばらくの展開の鍵になりそうです。南方海人族の面影を見るというか、大山祇神の系統かなと感じています。
おそらく、まこまこさんのアドバイスがなければ見過ごしてしまっていた海人族の存在は、韓鍛治と琉球鍛治との関係を新たに浮き彫りにしてくれたり、朱の王国・黄金の国ジパングへの理解を深めてくれるのではないかと思っています。感謝ですm(._.)m
Commented at 2019-10-20 07:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2019-10-20 12:10
> 名古谷雅代さん
金鳥山ツアーの案内も拝見しました。ミトロカエシ沼の場所が判明したというのは興味深いですね。2ヶ月ほど前に、「賢者の石 https://mintun.exblog.jp/239505562/」で、この国でも古くから錬金が行われていたのではと書きましたし、いまでもそう推理しています。また、そのことと金鳥山からカタカムナ文献が出て来たことは、偶然ではないと感じています。つまり、金鳥山にいたカタカムナのアシア人は錬金術を知っていたのだろうと。ミトロン(メタトロン)の池(ドロカエシ沼)があり、そこからは(楢崎氏の調査では)メタンガスが湧いていて、球状の金も埋まっていたと。もし私も金鳥山に登ることができたら、虫でもガスでも「湧く」ということにこだわった物理学者・楢崎氏の目線で、ドロカエシ沼を見つめてみたいと思います(笑)。「湧く=生命の誕生」を司るのは女神だと縄文の人も感じていたのではないでしょうか。
Commented at 2019-10-21 08:28 x
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Commented by utoutou at 2019-10-25 21:06
> 名古谷雅代さん
もうすぐ金鳥山の探索ですね。新発見があるとよいですね。
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