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六甲山と瀬織津姫 266 裏六甲へ行く

海神社(神戸市垂水区)は日向大明神とも
呼ばれたという。祀ったのは海人族の安曇氏か。
そして、どうやら三輪山でも日向の神を祀った。

その三輪山へと展開する前に、「赤石」の話を。
先日「明石は赤石」と私見を書いたら、実際、
その伝承を残す神社があるとコメントを頂いた。

明石市最古の神社・林神社(明石市林)が伝える
「赤石伝説」が、明石の地名発祥の由来であると。
〜赤石の上に少童海神(わたつみのかみ)が顕れたが、
成務天皇の時代、海に沈んだので社を創祀した〜

赤石とは花崗岩のこと…と思うが、確証はない。
が「赤石伝説」は林神社だけでなく、市内の
岩屋神社(明石市材木町)にも残っていた。

林神社と同じ成務天皇の時代の伝説という。
〜淡路島・岩屋から蛭子大神を勧請する際、波高く
難航したが、赤石海岸で祈願して事なきを得た〜


淡路島から明石方面(写真左)を遠望。
いまは淡路島・岩屋から、明石港の岩屋まで、
明石海峡大橋をくぐるジェノバラインで20分。
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さて、
明石川の東にある岩屋神社と、西の林神社。
いずれも創祀は成務天皇の頃という古社だが、
両社に残る赤石伝説は、赤石(明石)川河口が、
当時から海運・水運の要所だったことを物語る。

語り部も言っていた。
「海神社は元々、赤石の海岸にあったと思います」

ならば、明石川を遡った海人族がいたはずだ。
源流の藍那(あいな、神戸市北区山田町藍那)へ。


そこまで考えて、あーーっと、気がつく。
あの淡路島から海神社へ行った日の夕方、
実は、裏六甲にある藍那の近くへも訪れていた。
丹生神社。鳥居の中の左端に写る丹生山に鎮座。
こちら藍那古道に立つ鳥居(神戸市北区山田町坂本)。
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鳥居近くの立札に、藍那方向を示す矢印を見た。
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↓ 藍那古道地図。神戸電鉄サイトより拝借。
明石川の源流域となる藍那は、右下あたり。

また左下、藍那古道のもういっぽうの始点は
神戸電鉄栄駅あたりとなるが、次の駅は木幡、
さらに次は木津。そのあたり、明石川の上流域
に、最古の「丹生族」の痕跡が残っている…。

六甲山と瀬織津姫 266 裏六甲へ行く_a0300530_11362788.png



by utoutou | 2019-10-17 18:39 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(7)
Commented at 2019-10-18 08:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2019-10-18 23:32 x
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Commented by utoutou at 2019-10-20 08:01
> lapislazuli7さん
こんにちは。辰砂ルート、同感です。先日は神戸の高速舞子からバスで淡路島まで渡りましたが、そのまま行けば終着の徳島まででも1時間20分。少し南下して話題の若杉山遺跡、さらに先の那賀川郡の丹生谷までもそう時間はかからないと思いました。その逆が辰砂ルートではと。
Commented at 2019-10-20 09:15
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Commented at 2019-10-22 15:44 x
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Commented by utoutou at 2019-10-25 21:02
> まこまこさん
瀬戸内海の海運をなさっていたお爺様、ウミンチュ(海人)ですね。笑 
稲爪神社の伊和都姫は大山祇神の娘の磐長姫のことではないだろうかと、先日、語り部さんと話し合いました。そもそも、稲爪神社については語り部さんが、私が淡路島に行ったときから、そのご祭神を言い当てていましたので、感じるものが大きいようです。
イワトヒメも同じ姫ではないかと感じています。知られざる歴史かなと思い、私も今後が楽しみです。
Commented at 2019-10-25 21:43 x
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