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六甲山と瀬織津姫 267 丹生山の月読命

裏六甲の丹生神社(神戸市北区山田町坂本)へ。
JR神戸三ノ宮駅前からホテルの送迎バスに乗車。
新神戸トンネルを抜けて北上、約20分で着いた。
港神戸とは別世界の山間で、丹生山の夕陽を見る。


午後6時。
箕谷の温泉ホテルから眺める丹生山(左端)。
その頂上に、丹生神社は鎮座するという。
街道沿いの鳥居から徒歩90分。参拝は無理か…。
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こちら明けて朝6時半の朝日。露天風呂より。
朝日さす夕陽輝く…と鉱脈探しの歌に一致する。
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さて、丹生山を望むこの地にいた丹生族とは、
どんな金鉱一族だったのだろうか? という
ことを知りたくて、裏六甲までやって来た。

『播磨国風土記』が伝える丹生津姫譚には、
何かどうもすっきりしないものを感じている。

繰り返すが…、神功皇后三韓遠征のとき、
国堅大神の子・爾保津比売(にほつひめ)の
神託が、明石国造の女・石坂比売に舞い降りた。
風土記が伝えるのだから、この爾保津比売は
播磨国にいた女神ということだろう。

で、託宣通り、船に立てた祭具に施朱すると
戦勝して、神功は帰還後「管川の藤の峯」に
神を祀ったというが、その「場所」が解せない。

「管川の藤の峯」とは播磨国でなく、紀伊国。
現在も丹生津比売神社の鎮座する朱産地だが、
なぜそう遠くに祀られたのか? さらに、神領を
寄進したのが応神天皇と言われるのも不思議。

播磨国の爾保津比売と、紀伊国の丹生津比売は、
定説では同一視されるが、はたして本当か?

語り部に聞くと、あっさり言った。
「丹生津姫を祀る丹生族は、応神天皇の頃に渡来
 したということでしょう。それ以前ではない…」
えっ? と驚くいっぽう、新たな疑問が湧く。
では、それ以前の爾保津比売はいったい誰…?


というわけで、とにかく
 タクシーで丹生山の麓の山田町坂本まで行く。 
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徒歩90分という丹生山頂までの参道は見えない。
山田川の橋を渡り、道なりに走ると集落に着いた。
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集落に入ってすぐ、お地蔵さんが出迎えた。
「従丹生山 廿五丁(25丁)」と刻まれている。
通りかかった人に、「ここから丹生山ですか?」
と聞くと、「2.8㎞ある、登らないでしょ」と。
「はい、ちょっと無理」(笑)

また、これは平清盛が山頂に建てた明要寺への
 距離を示す丁石(道標)だとも、教えてくれた。
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そこで、もうひとつだけ聞いてみる。
「丹生神社には、丹生津姫が祀られていますか?」
「らしいね。それから、ツキヨミといったかな」
「へぇ、月読命がお祀りされているんですか…」

 月読命は、日下部氏や隼人族が祀った神である。



by utoutou | 2019-10-22 20:43 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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