裏六甲の丹生神社(神戸市北区山田町坂本)へ。 JR神戸三ノ宮駅前からホテルの送迎バスに乗車。 新神戸トンネルを抜けて北上、約20分で着いた。 港神戸とは別世界の山間で、丹生山の夕陽を見る。 午後6時。 箕谷の温泉ホテルから眺める丹生山(左端)。 その頂上に、丹生神社は鎮座するという。 街道沿いの鳥居から徒歩90分。参拝は無理か…。 ![]() こちら明けて朝6時半の朝日。露天風呂より。 朝日さす夕陽輝く…と鉱脈探しの歌に一致する。 ![]() さて、丹生山を望むこの地にいた丹生族とは、 どんな金鉱一族だったのだろうか? という ことを知りたくて、裏六甲までやって来た。 『播磨国風土記』が伝える丹生津姫譚には、 何かどうもすっきりしないものを感じている。 繰り返すが…、神功皇后三韓遠征のとき、 国堅大神の子・爾保津比売(にほつひめ)の 神託が、明石国造の女・石坂比売に舞い降りた。 風土記が伝えるのだから、この爾保津比売は 播磨国にいた女神ということだろう。 で、託宣通り、船に立てた祭具に施朱すると 戦勝して、神功は帰還後「管川の藤の峯」に 神を祀ったというが、その「場所」が解せない。 「管川の藤の峯」とは播磨国でなく、紀伊国。 現在も丹生津比売神社の鎮座する朱産地だが、 なぜそう遠くに祀られたのか? さらに、神領を 寄進したのが応神天皇と言われるのも不思議。 播磨国の爾保津比売と、紀伊国の丹生津比売は、 定説では同一視されるが、はたして本当か? 語り部に聞くと、あっさり言った。 「丹生津姫を祀る丹生族は、応神天皇の頃に渡来 したということでしょう。それ以前ではない…」 えっ? と驚くいっぽう、新たな疑問が湧く。 では、それ以前の爾保津比売はいったい誰…? というわけで、とにかく タクシーで丹生山の麓の山田町坂本まで行く。 ![]() 徒歩90分という丹生山頂までの参道は見えない。 山田川の橋を渡り、道なりに走ると集落に着いた。 ![]() ![]() そこで、もうひとつだけ聞いてみる。 「丹生神社には、丹生津姫が祀られていますか?」 「らしいね。それから、ツキヨミといったかな」 「へぇ、月読命がお祀りされているんですか…」 月読命は、日下部氏や隼人族が祀った神である。
by utoutou
| 2019-10-22 20:43
| 瀬織津姫
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