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六甲山と瀬織津姫 268 丹生津姫はいない

月読命が丹生神社に祀られていることは、
何年か前に書いていた(過去ログはこちら)。
丹後の浦島神社(こちら)の祭神であることも。

祭神・浦島子は、日下部首などの祖先にあたり、
その祖は月読命の子孫であると、由緒に。
浦島神社では、浦島太郎と月読命を祀っている。

また、ここ丹生山の麓に西流する山田川は志染川
とも呼ばれ、流域の「志染の岩室(しじみのいわむろ、
現・三木市志染町)」は、5世紀に、皇位争いから
逃れて来た二人の皇子が隠れ住んだとされる場所。
その皇子たちを導いたのは、日下部連の親子だった。
一帯は、まったく日下部に所縁の深い土地である。


さて、
丹生山(標高514m)は丹生・帝釈山系にある。
右へ帝釈山(590m)、シビレ山(465m)が連なる。
シビレ山は志染にあり、丹(赤土)にまつわる伝承がある。

曰く、丹生山で採石した丹(赤土)で不老長寿の薬を調合
した山伏たちが、水銀中毒で「痺れた」という…。
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山伏伝承というからには、仏教伝来以降の話。
丹生山に鎮座する丹生神社にしても、創祀は
その6世紀以前にまで遡るものではないようだ。

坂本集落の一角に建っている「丹生宝庫」は、
毎年5月5日に所蔵品を公開される。
その中に明要寺参拝曼荼羅図というのがある。
(神戸新聞「西の比叡山・明要寺跡を訪ねて
で、写真を見ることができる)

それによれば、丹生神社は仏教が伝来した後、
百済・聖明王の弟が渡来して建立した明要寺
の神宮寺として、建てられたということである。
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いっぽう、本来の丹生神社は、現在の七社神社で、
「仏教を嫌って丹生山を離れた」のだと、由緒は語る。

以下、七社神社ご由緒の要約。
巡って学ぼう! 山田の里の歴史と伝説より)

☆元は、国津神・大国主命(七社明神)を祀る
摂津国山田郷の総鎮守社で、丹生山に鎮座していた。
☆明要寺が建った頃、仏教を嫌った七社明神は、
丹生山を離れ、宮床(現・山田町西下)に移った。
現在位置は、↓ 地図のほぼ中央だが、
いずれにしても、神々は随分と降ったものだ。

「この地で最古の丹生神社」という、七社神社の
祭神とは、大国主命、大己貴命、大山咋命、
大物主命、八千戈命、顕国玉命、葦原醜男命。
すべて、大国主命の亦名である。
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大国主命の神々を思ったところで、ピンと謎が解けた。
他でもない、丹生都姫について。『播磨国風土記』逸文には、
神功皇后に託宣した爾保津比売は、国堅大神の子とある。

国堅大神(くにかためししおおかみ)とは、大国主命の先祖
だと、語り部もかつて言っていたことがある。
爾保津比売と、丹生氏が崇めた丹生津姫は別の女神なのだ。
この地に丹生津姫はいない。祭祀した痕跡もないようだ。










by utoutou | 2019-10-26 17:31 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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