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首里森の御嶽は残った〈1〉

首里城正殿の前の御庭(うなー)を斜めに走る
浮道(うきみち)は琉球王と皇帝のための通路。
その祭祀空間(※私見)の設計は謎に満ちている。

たとえば、こちらの空撮写真('16年秋、NHK)
を見るとよく分かる(南西上空からの撮影か)。
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正殿(右上、東)からやや斜めに走る浮道は、
奉神門(左下)に繋がるが、その延長線上に
下之御庭の首里森御嶽(すいむいうたき)がある。

7m四方を石積に囲まれた、古来の御嶽(森)。
ガジュマルやマーニ(クロッグ)が繁茂する。

いわば首里城の中心地にある。琉球王朝の正史
「中山世鑑」(1650年)においても、「琉球の
開闢神・阿摩美久(アマミク、アマミキヨ)
の造った御嶽」と記されている。

正殿など7棟を焼失したこの度の首里城火災。
当日10月31日のお昼前に、時事通信が発表した
↓ 空撮写真を見ると、首里森御嶽は無事だった模様。

左の赤丸(※私の加工)の森が首里森御嶽。
崩壊した正殿(写真中央右)の西に鮮明に。
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こちら明治前期から中期に引かれた測量平面図
「沖縄県首里旧城図」(横内家資料、那覇市歴史
資料室所蔵)でも、中央の御庭(うなー、青色)
を挟んで正殿(右)と首里森御嶽(左)が東西に
向き合う(※首里森御嶽の赤丸は資料ママ)。
言い変えれば、この東西軸が城内の中心にある。
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定説では、首里城の創建は、第一尚氏の
初代王・尚巴志(1422〜39年)とされている。
というのも、文献上、最初に現れるのが、
1427年に建立された安国山は華木碑記という。

碑文には、首里城の周辺に池(龍譚)を造り、
山を築いたと。それはいわば都市計画だった
ようで、内郭部の位置も以來約500年に渡って
大きな変化はない。やはり、首里森御嶽を中心に
首里城は設計されたと言っても過言ではないのだ。

「首里城跡〜下之御庭御嶽地区発掘調査報告書」
(県立埋蔵文化財センター、2008年)によれば、
首里森御嶽は、「神の依り代と考えられる岩盤を
取り囲むように、石積が構築されていたことを
確認することができた」という。

ちなみにこの調査は、内閣府沖縄総合事務局の
沖縄記念公園事務所の依頼により、「首里城の
中心的な拝所として重要な位置を占めていた
首里森御嶽の遺構を確認する目的」で、平成8
(1996)年度に実施されたものと、報告書は記す。

そもそも首里城の整備は、昭和61(1986)年
に、国営沖縄記念公園の首里地区として整備する
と閣議決定されたことが端緒となっている。

 琉球の王城は、これまで幾多の変遷を経てきた。
  政変による王権の交代、1609年の「薩摩侵攻」、
1879年の「琉球処分」、その後は日本陸軍軍営地
となり、沖縄戦で焼失…。その都度、首里森御嶽の
 遺構も、消されたり甦ったりと浮沈を繰り返した。

しかし、4回の首里城火災と沖縄戦を経てなお、
この令和元年の大火では焼失を免れた。

「アマミキヨの御嶽が残ったということは…
ここらで、まとめて書き留めておくべきでは?」
尋ねると、語り部もこう言った。
「ひょっとすると六甲山とアマミキヨの関係も、
 首里森御嶽から分かってくるかもしれませんね」

偶然、昨日4日、沖縄・那覇に着いて、何日か
滞在する予定。六甲山シリーズはしばしお休み
して、「首里・アマミキヨの御嶽」を探ってみる。


現在の首里森御嶽(首里城公園より拝借)
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by utoutou | 2019-11-05 12:22 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(3)
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Commented by komakame at 2019-11-05 13:43 x
首里城焼失は大変な驚きでした。テレビニュースの上空からの映像を目を凝らして見ていましたが、首里森御嶽が猛炎を遮り残っているように見えたのが大きな悲しみの中の一つの救いでした。ぜひ、ここの御嶽の歴史と深い意味合いを紐解いて頂く事を期待しています。また首里城の再興を心から願っています。
Commented at 2019-11-05 19:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2019-11-08 11:22
> さいとう よしみさん
こんにちは。古代の祈り、興味深いことですね。御嶽と性別についても。女性の霊力は男性よりも強いとよく聞きますが、沖縄の男性を見て思うのは、お母さんやおばあさんの霊力を受け継いだ男性は少なくないということです。ひょっとすると、聞得王君の守護を受けた王様もまた霊力の強い男性だったのかなと想像しています。
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