首里森御嶽をはじめ、首里城には十御嶽(とたき) あるというが、園比屋武御嶽以外には近づけない。 それならというわけではないが、首里城の北、 龍譚池からすぐの安谷川御嶽(那覇市首里当蔵町) を訪ねてみたいという気に、最終日にふとなった。 「あだんがーぬうたき」と読む。左側の石碑には、 「阿丹川御嶽 一九五九年」と刻まれているが、 そんなふうに表記する時代もあったのだろうか…。 龍譚通りから、旧県立図書館の跡地横を モノレールの儀保駅方向に降りていく道の右手。 アーチ型の石門の上中央に火炎宝珠を乗せている。 火炎宝珠は、首里森御嶽、園比屋武御嶽など、 首里城内の主要な御嶽の石門にあしらわれている。 その火炎宝珠を、奥に進んで御嶽内から見上げる。 一見お供え餅のようだが、天辺は火炎を象っている。 王府時代は王族士族のお屋敷街だった。いまも住宅街。 隣接する保育園から、昼食時間のご挨拶が聞こえた。 【安谷川御嶽】 王府の高級神女・首里大阿母志良礼(しゅりおおあむしられ) の司る御嶽だったと、「琉球国由来記」(1713) に記されている、などの解説があった。 大阿母志良礼の御嶽=大いなる母の治める御嶽、か。 聞得大君を頂点とする神女組織のトップスリーの一人だ。 東側の奥100mほどのところに洞穴(ガマ)がある。 道路の対面から、御嶽の遠景を撮ろうとして道を渡るとき、 北(儀保)方面からブワンッと強風が吹き上がってきた。 「ここは産鉄地か?」と、すぐさま思ったが、妄想だったか。 「風と火と水」は、古代産鉄地の条件。ヤマトの各地で 似た地形の産鉄遺跡を見たが、首里はどうだったのだろう? モノレール儀保駅まで歩いて10分ほどだった。 首里城と浦添城を繋ぐ「西海道(さいかいどう)」の一部。 「尚寧王(しょうねいおう)の道」とも呼ばれる。 琉球第二王朝七代・尚寧王(1564〜1620年)が整備した。 尚寧王は浦添尚家の出身。そして、歴代王で唯一、 王族の眠る・玉稜(たまうどぅん)に葬られなかった王。 そして、もしかすると、歴代王のなかで、もっとも 首里森御嶽に縁の深い王ではなかったかと思うのだ。
by utoutou
| 2019-11-23 18:11
| 瀬織津姫
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by utoutou
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