昨日30日、首里城の火災から1ヶ月が経った。 原因究明はさて起き、一部城郭周辺が開放される など、明るいニュースもチラホラと出てきた折から 火災直後の写真(共同通信社より)を改めて見る。 そして、あることに気がついた。 奉神門手前の首里森御嶽から石積みを隔てた 京の内(祭祀空間、写真右下)も、残っている。 と同時に、もうひとつ重大なことに気がついた。 首里森御嶽だけが京の内から隔離されている。 京の内が隔離されているというのが正しいか…。 では一体なぜ、そんなことになっているのか? ![]() 首里城公園「空から見た首里城」で確認すると 京の内は石積みで数カ所の郭に仕切られている。 正殿の見える写真上が東、京の内は東南にある。 ![]() 4年前、MAP上の「現在地」から入り散策し、 西のアザナ(物見台、写真右)まで歩いた。 ![]() 横の案内書きに、次のような解説があった(要約)。 ☆琉球王国には男性中心の行政組織と、聞得大君 を頂点とした神女組織があり、王国を支えた。 ☆重要な「十嶽」のうち重要な御嶽はここにある。 ☆京の内(けおのうち)は「気の充満する空間」。 ☆祭祀内容や聖域の様子は明らかになっていない。 ![]() 京の内内部の通路(写真は首里城HPより拝借)。 地下遺構は覆われ、聖域というより公園の趣き。 ![]() さて、 このところ気になって仕方なかったのは、 他でもない、京の内にあったはずの真玉森御嶽。 『おもろさうし』には、首里森御嶽の対句として、 頻繁に登場するが、実際にも隣接していたと思う。 でなければ、聞得大君が「森」に降りてきて 尚真王のために祈る、次の歌は詠われない? 〜聞得大君ぎや 首里杜 降れわちや おぎやか思いや 君しよ 守りよわめ 鳴響(とよ)む 精高子(せだかこ)が 真玉杜 降れわちへ〜(後略、巻一・十六) しかし、 下の御庭の首里森御嶽の近くに御嶽はない。 真玉森御嶽はなぜ消えたのかと、考えること 数日。答えを発掘調査報告書('17年)で発見。 地図に、首里森御嶽「本神」と記されている。 私たちの知る現在の首里森御嶽のまっすぐ南、 南の城壁の内側に、本神(赤丸は私の加工)と。 私たちの知る首里森御嶽は、遥拝所だったのだ。 ![]()
by utoutou
| 2019-12-01 14:16
| 瀬織津姫
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