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首里森の御嶽は残った〈7〉本当の首里森御嶽

昨日30日、首里城の火災から1ヶ月が経った。
原因究明はさて起き、一部城郭周辺が開放される
など、明るいニュースもチラホラと出てきた折から
火災直後の写真(共同通信社より)を改めて見る。

そして、あることに気がついた。
奉神門手前の首里森御嶽から石積みを隔てた
京の内(祭祀空間、写真右下)も、残っている。

と同時に、もうひとつ重大なことに気がついた。
首里森御嶽だけが京の内から隔離されている。
京の内が隔離されているというのが正しいか…。
では一体なぜ、そんなことになっているのか?
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首里城公園「空から見た首里城」で確認すると
 京の内は石積みで数カ所の郭に仕切られている。
 正殿の見える写真上が東、京の内は東南にある。
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4年前、MAP上の「現在地」から入り散策し、
西のアザナ(物見台、写真右)まで歩いた。
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横の案内書きに、次のような解説があった(要約)。
☆琉球王国には男性中心の行政組織と、聞得大君
を頂点とした神女組織があり、王国を支えた。
☆重要な「十嶽」のうち重要な御嶽はここにある。
☆京の内(けおのうち)は「気の充満する空間」。
☆祭祀内容や聖域の様子は明らかになっていない。
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京の内内部の通路(写真は首里城HPより拝借)。
地下遺構は覆われ、聖域というより公園の趣き。
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さて、
このところ気になって仕方なかったのは、
他でもない、京の内にあったはずの真玉森御嶽。
『おもろさうし』には、首里森御嶽の対句として、
頻繁に登場するが、実際にも隣接していたと思う。

でなければ、聞得大君が「森」に降りてきて
尚真王のために祈る、次の歌は詠われない?

〜聞得大君ぎや 首里杜 降れわちや
おぎやか思いや 君しよ 守りよわめ
鳴響(とよ)む 精高子(せだかこ)が
真玉杜 降れわちへ〜(後略、巻一・十六)


しかし、
下の御庭の首里森御嶽の近くに御嶽はない。
真玉森御嶽はなぜ消えたのかと、考えること
数日。答えを発掘調査報告書('17年)で発見。

地図に、首里森御嶽「本神」と記されている。
私たちの知る現在の首里森御嶽のまっすぐ南、
南の城壁の内側に、本神(赤丸は私の加工)と。

私たちの知る首里森御嶽は、遥拝所だったのだ。
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報告書は、次のように記している。
〜調査期間中に下之御庭の首里森御嶽の下部石積み
が、京の内を南北に横断して最高位にある首里森
御嶽へ繋がっていることを現地で確認した。
下之御庭の首里森御嶽は京の内にある首里森御嶽
(本体)への遥拝所でであることが、石積み遺構
からも確認できた。〜

 首里丘陵の最高地にあった「アマミキヨの御嶽」。
 ゆえに、「首里城発祥の地」と言われたのだろう。
 真玉森御嶽もこの最高地点にあったに違いない…。






by utoutou | 2019-12-01 14:16 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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