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首里森の御嶽は残った〈8〉真玉森御嶽(まだまむいうたき)

前回「本当の首里森(すいむい)御嶽」を書いた
ところ、ブログを読んだ語り部がサラッと言った。

「そうですよ。下之御庭にある首里森御嶽は、
国王や中国から来た冊封使がお参りした遥拝所。
本来の首里森御嶽は京の内の南のアザナ(物見台)
あたりにあると、以前から思っていました」
逆に下之御庭の御嶽には感じる何かはなかったと。


一件落着。ついでに真玉森御嶽の位置を確認した。
私の目星は赤丸あたり。京の内の南西(右下)端だ。
※航空写真は「京の内発掘調査報告書」より拝借
首里森の御嶽は残った〈8〉真玉森御嶽(まだまむいうたき)_a0300530_11591936.png





「真玉森御嶽は、そこですよね」と、聞いた。
 琉球王朝が第一尚氏から第二尚氏へと切り替わる
 クーデター(1469年)にまつわる伝承をヒントに。

「そのあたりに真玉森御嶽の洞穴(ガマ)もある
ようですね。琉球王朝第一尚氏最後の王・尚徳王
 の王妃と世子たちが追手から逃れて隠れたという。
 でも一派は殺害して、城壁から外へ突き落としたと。
 それから、王妃の体…ふくらはぎが引っかかった崖
  の下の洞穴はクンダグスクと呼ばれるようになった」
 (※クンダとは、ウチナーグチでふくらはぎのこと)

 「そうです。だから、第一尚氏の王たちの本当の
お墓は首里崎山にあるのだと思います」
そう語り部は言った。
「なるほど、あの話になるわけですか…」
 (※崎山は、上の地図で南(右)に隣接する地域)

 「あの話」を、私は、7年ほど前に聞いた。
 かつて語り部が、「首里崎山のガジュマルのある家へ
 行きなさい」とメッセージを受けた。行ってみると、
 お婆さんがいて、「眠っている王の名を言えたら
  拝ませてあげます」というので、語り部は答えた。

「尚泰久王、尚金福王、尚思達王ですね」
「その通り」と言い、お婆さんは墓を見せた…。

つまり、第一尚氏の王たちの墓所も首里城か
 その周辺にあったが、クーデターが起こったとき、
 子孫によって遺骨は隣村に隠されたということか。

それにしても、真玉森御嶽に隠れたという
王妃らの心情には、哀切を感じずにはいられない。
首里森御嶽・真玉森御嶽は、国王の就任を告げる
 キミテズリの神が降臨するという御嶽のなかの御嶽。
  そこに逃れたが、世継ぎの王子に神は降りなかった…。


 真玉森御嶽に二人の霊が現れたというエピソードを、
 「京の内発掘調査報告書」がコラムで紹介している。

平成7年、首里城京の内南側地区の半洞穴を発掘中
に、女性の作業員が、「洞穴の前に着飾った女性
と子どもが立っていて、こちらを見ていますよ」と
言った。尚徳王の王妃と子だと思い、一日と十五日
には線香とお供えをした、と。(※写真も拝借)
首里森の御嶽は残った〈8〉真玉森御嶽(まだまむいうたき)_a0300530_13200298.png




首里城の京の内にあった、真玉森御嶽と洞穴。
その位置がベールに包まれるように判然としない
 のは、王権交代のそんな悲惨な伝説があるからか。


首里城の御嶽を順拝する神行事・百人御物参
(ももそおものまいり)の再現イベント('18年)。
 こちらは、京の内の「第一の御嶽」首里森御嶽か。
(※写真は「@プレス」より拝借)
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by utoutou | 2019-12-04 15:23 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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