人気ブログランキング | 話題のタグを見る

首里森の御嶽は残った〈9〉首里はじまりの御嶽

王府の高級神女・首里三平等(みひら、三地区)
の大あむしられたちが、首里城内外の御嶽を巡拝
した神行事・百人御物参(ももそおものまいり)
には、あかす森御嶽と国中御嶽という、城外の
  御嶽も含まれていたという(他には弁が嶽も)。

あかす森御嶽と国中御嶽は、
「首里城が建築される以前からあった」と、
 伊從勉氏が著書『琉球祭祀空間の研究』で述べて
   いる。「両者は同じ丘の稜線上にある」 とも。   
 
その「同じ丘」が首里・上の毛(いーぬもー)
だとは、先日、偶然訪れるまで知らなかった。

首里城の北の龍譚通りを弁が嶽に向かって歩いて
いたとき、ふと寄ってみたのが上の毛だった。
「毛」とは広場のことだが、写真右の門から入り、
坂道を登ると、そこは首里城への散策コース。
首里城火災の直後(11月初旬)でも通行できた。
首里森の御嶽は残った〈9〉首里はじまりの御嶽_a0300530_16130171.jpg






 上の毛の案内板。緑ゾーンの左端が現在地。
 10分公園内を歩くと首里城(橙色)に着く。
首里森の御嶽は残った〈9〉首里はじまりの御嶽_a0300530_16521064.jpg






地図下部の「上の毛エリア」の部分を読み、
そうだったかと、ここで足が止まった訳を思う。

(以下、全文)
〜 首里城と連続する石灰岩台地の東端に位置する
上の毛については、往時の利用形態がほとんど
知られていない。上の毛は、首里城が王城として
整備される以前は、”グスク”として存在していたが、
城の整備が始まった段階で、その細長い丘陵を城郭内
に取り込むには、利用・管理上に難があり、除かれた
と考えられる。ただ、丘陵からの敵の攻めに対して
城の構えが弱いので、東端の”カタノハシ”には出城が
あったのではないか。さらに城内の”東のアザナ”から
弁ヶ嶽方向を監視できるよう台地上の樹林を伐採し、
松林を整備したのではないかと推察される。〜


首里城の建築前からもちろんあった、首里の丘…。
かつて、語り部から何度となく聞いていた、
「首里天孫氏の造った御嶽」、そして、
「首里発祥の地」とは、この上の毛のことだったか。

語り部が神女おばあたちから聞いた話はこうだ。

「国(首里)のはじまり・あーけーじゅの御嶽
(※トンボ=蜻蛉=あけず、という意味)には、
天女が舞い降りたという伝えがあった。その近くの
洞穴(ガマ)は、うみないの御嶽(※王妃の意味)
 と呼ばれた。祀った一族は、首里天孫氏と呼ばれる
 アマミキヨの末裔。くんゆりの御嶽(※国はじまり)
を造ってから、首里森御嶽と真玉森御嶽を造った」

伝承の嶽々はいま、首里城公園の下に埋もれて
いることから、「首里のどこかだろう」と大雑把
 に解釈していたが、これほど首里城に地続きとは。
 

首里天孫氏とは誰か? に、思いを巡らせつつ、
首里城・東のアザナへのコースをぶらぶら歩く。
このエリアに、あかす森御嶽と国中御嶽がある。
首里森の御嶽は残った〈9〉首里はじまりの御嶽_a0300530_16453048.jpg





城壁付近には規制線が張られ、ガードマンが立って
いて近づけなかった。ここが行き止まり地点の景色。
北側に浦添方面の景色が広がり、風が渡っていた。
首里森の御嶽は残った〈9〉首里はじまりの御嶽_a0300530_20191254.jpg






首里城公園によると12/12から立入可能になった
模様だか、こちら、近寄れなかった国中城の御嶽。
(国中御嶽の正式名。写真は首里あるきから拝借)
首里城・東のアザナの城壁の手前にある。ここに、
 察度王(在位1349年〜)が守護神を祀ったという。
首里森の御嶽は残った〈9〉首里はじまりの御嶽_a0300530_20232336.png



首里城を築城したのは第一尚氏王朝初代の尚巴志王と
 いうのが定説だが、もっと古く察度王代とも言われる。
 察度の頃(1392年)、高楼(高世層理殿、高よさうり)
が建造されたと、『琉球国由来記』に記されている。


察度王統初代王の察度王(1321〜1395年)
については、「天女は誰?」に書いたことがある。
民間伝承によれば、察度の父・奥間大親は、
アマミキヨ八世、母は天女。そうすると、
 察度の守護神とは、首里天孫氏だったのだろうか?

 ここから首里の古代が紐解けていきそうな気配…。

by utoutou | 2019-12-11 19:08 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented by hihumiiroha at 2019-12-12 14:35 x
拝啓 日々の貴女のプログはうちなー琉球残波竜宮天府大神の銀の道許可者なる審神者と致しまて、弁ヶ岳・沖縄神社・首里森上の毛・カムロギ・カムロミ盤が天孫アマミキヨ、宇天軸盤を成し、命どー寶 愛燦々の道すがらの自助・公助・共助の結まーるで世界の諸々の民々が戦は念を産む産物であり、自然界の共存共栄が如何や子孫に負の資産の軽減を成さねば地球・宇宙界より問直し、聞き直し、見直しの現況が今日の大災害の警鐘なるにて、うちなーんちゅDNAの根底・天心無我・和を以て統べてを為すは無私の心得、肝ぬ持成しや竹の事直々、義理ぬ節々は中にこめて。言の葉の縄文ムーなる残照の享受地なる由、この度の大火災はうちなー琉球・首里森に天界僧正が浅草寺に関東ご守護基盤を樹立の様で今の東京(江戸)基盤がある由が基盤が揺らぎ振いを呈しているのが日の本金剛界の現状、故に宇宙・地球の再生基盤の樹立はうちなー胎蔵界・再生地・大龍宮なる大母神のみ可なる由、しかるに宇宙天界の直なる上の毛が奥の院・沖縄神社の早急の再建と合わせて首里城正殿(陰と陽)が成せば世界の民々がサンゴのニライカナイの黄泉返り(ご先祖様)の恩恵を享受可なる。尚、恵比寿・戎・霊界の入り口もうちなー琉球に残存し開門にて、神々の凱旋と常世の直々享受地で枝國に愛燦々・命どう宝の東西南北の四神・八百神々の御霊の意乗り上げなる秦納で安寧なる国々の常世なる由。上の毛をプログにてご紹介いただき只々感謝申し上げます、尚、浦オソイなる英祖・尚寧王陵、浦オソイの犬ガー(丸良整備工場)あぜ道を下ったが湧き水犬がー(うちなー琉球胎蔵界総合を統べ再生カー)が崩落危機にて残念至極なるにて。感謝 合掌
Commented by utoutou at 2019-12-13 15:55
> hihumiirohaさん
コメントをありがとうございます。ゆっくりと拝読させていただきます。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 首里森の御嶽は残った〈10〉首... 首里森の御嶽は残った〈8〉真玉... >>