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首里森の御嶽は残った〈11〉首里城のルーツ

冬至(12月22日)の朝、7時半の那覇。
ゆいレール牧志駅のホームから北方を見る。
ホテルの窓から見ると、夜明け前は国際通りを
 濡らしていた雨も止んで、予想外の快晴になった。
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首里城の火災から数えて2度目となる那覇への旅。
最近気になっているのが、「首里城のルーツ」。

民間伝承では、首里を拓いたのは首里天孫氏という
アマミキヨの末裔で、琉球初代王・舜天の時代
より神話寄りだが、今回の話はかなり時代が下る。

首里に城を築いたのは、琉球王朝(15世紀〜)か、
察度王統(14世紀〜)か。ルーツははたして?
という二択の、遺構から見る「首里のルーツ」。

先月、産經新聞にこんなニュースが載っていた。

首里城は焼失した。この際だから再建より先に、
正殿跡など首里城の発掘調査をさらに行うべき
だと、京都大学教授の伊従勉氏が発言している。

首里城に高楼を建てたのは察度王統の王だと
記録にある以上、「首里城のルーツ」を解明
する手がかりは発掘しかないという意見である。
私もまったく同感で、成り行きに注目している。

再建支援に募金はしたが、これはまた別の話…。

ちなみに、
建築史が専門の伊従氏は、『琉球祭祀空間の研究』
の著者であり、政府が主導して年内に始まる予定
という首里城再建有識者会議の委員のひとりだ。


さて、首里城公園の立ち入り可能区域が広がった
とのことで、まずは前回は入れなかった御嶽へ。
察度王が首里のグスクを築く前に、守護神を
祀ったという、東の外壁下の国中城御嶽へ行く。

首里城の東端の「上の毛」から西へ進むこと10分。
高い木の下に国中城御嶽があり、前回はその右横に
規制線のバーとコーンが置かれ、警備員が立っていた
が、今回はこのカメラ位置の右側で案内している。
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国中城御嶽にようやく参ることができる…はず
だったが、なんと御嶽の前に着いてビックリ仰天。
威部(イビ、御嶽の中心)に、先日のバーとコーンが
放置されている。まさか、御嶽を封印したのか!?
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「あの〜、御嶽が立ち入り禁止になってますよ」
警備員の人のところに戻り、そっと聞いてみた。
「あれって、火事の後に立ててたコーンですよね」と。
「はい、(公園)管理の指示で置いたらしいです」
「指示って言っても、察度王が崇めた御嶽ですやん」

なぜか関西弁になった私に、警備の人も言った。
「だからですよ…」と困惑顔に、ウチナーグチで。
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私がコーンを移動させるわけにもいかないし…と
その場を離れ、後で戻ってみると、コーン等は
除かれ、サン(ススキでつくる魔除け)が置かれていた。
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とりあえず一件落着となったものの、
首里城公園側からは影が薄そうに思える察度王。
その痕跡を求めて、次は首里城公園の外を歩いてみる。





by utoutou | 2019-12-23 09:56 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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