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首里森の御嶽は残った〈14〉琉球の珠

アマミキヨが創った琉球七御嶽のひとつと、
琉球神話が伝える首里城・京の内の真玉森御嶽。
真玉とは、真の宝珠のことであり、琉球の珠。

この杳として全貌の知れない洞穴こそが、真玉森御嶽
で、かつ探し求めた龍穴だったとは、沖縄からヤマト
までの御嶽を歩き、ここに立つまで気がつかなかった。
 龍穴…別名、てぃだが穴(太陽の穴)だろうと思う。
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洞穴に入ることはできないが、首筋がざわついた。
その感触は、例えば、奈良・宇陀の吉祥龍穴や、
伊勢・恵利原の滝祭窟、長野・戸隠の九頭龍神社
受けた、何かの呼びかけのような波動と似ていた。

龍穴には頭に黄金の珠を戴いた龍が棲むという。
真珠森御嶽も、そんな龍宮だったかもしれない。

珠は久高島の龍宮と呼ばれる洞穴で視せられた、
金色に縁取られた白い珠とも似ていると感じる。
あのとき語り部は、「豊玉姫の珠だ」と言った。

どこの高僧の言葉だったか…珠は龍の脳より出る。

古代人にとって、珠を生み出す龍神は太陽の化身。
珠とは、本来の「 宇迦(龍)之御魂」と感じる。
縄文時代、海人族・アマミキヨが崇め祀った至宝。
海人七氏族(せーななー)を護る船玉でもあったか。

首里城内・京の内。京とは霊力(しじ)のこと
というが、その源泉は真玉森御嶽だったのだろう。
聞得大君は、この御嶽で霊力を授かったと伝わる。
最高神・君手摩(きみてずり)も、ここに降臨した。


首里森御嶽の上に建つ(と思われる)石のアーチ。
ここを出て、恐れ多くも右の石段を下りて進む。
真玉森御嶽がいつ失われたのかは、分からない。
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石段下から左の小道に折れて進むと真玉森御嶽。
突き当たりが南の城壁、御嶽(洞穴)は左にある。
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石段の下に、御嶽の琉球石灰岩が見える所がある。
真玉森御嶽が磐座だったのか、洞穴を指すのか。
穴が突き抜ける単独の磐座だったように感じた。
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「首里森御嶽と真玉森御嶽は一対、ウミキ(王)と
 ウミナイ(王妃)に例えられたという伝えがある」
と、語り部は言う。

私も首里城を歩いてそう思う。
縄文人がいた首里南部からは、その一対の磐座が
 村を守護する腰当森(ふさてぃむい)に見えたのでは。
 夜には北極星(にぬふぁーぶし)がその上空に輝き、
 磐座に立てば、東方(あがりかた)から朝日が昇る。
ことに、冬至の朝日は斎場御嶽から昇ってくる…。

★ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください★




by utoutou | 2019-12-31 17:20 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
Commented by jun at 2020-01-02 01:54 x
首里城、京の内側から見た南側の方角に小禄地域がありますが、そこにある丘(元は山)には真玉御嶽(前のウタキ)があります。そして、そこから右手側の小禄小学校隣の山は『殿(トゥン)』と呼ばれ(後のカニマン御嶽)があります。小禄地域の2つの大きな御嶽です。なんだか繋がりがありそうですね
Commented by utoutou at 2020-01-04 09:33
> junさん
こんにちは。鬼餅も三が日も終わりましたね。今年もよろしくお願いします。
小禄には何度か行ったことがあります。真玉御殿、カニマン御嶽、どちらも立派で最初は本当に驚きました。その後、察度王の弟とされる泰期や察度王の子・武寧王と小禄城との関係を考えるにつれて、鉄器貿易と鍛治で繁栄した一族の拠点としてふさわしい規模なのだと思うようになりました。那覇港の統治者だったのではないでしょうか。
Commented by jun at 2020-01-05 02:16 x
那覇港の統治者ですか!!そうですか!!
何かが繋がりました!私は常々那覇港と周辺地域について、進行船や船がたくさん行き交った頃の様な活気を取り戻したい。昔のように繁栄させたい。その為にはどうしたら良いか。という思いがあるのですが、その思いの出所はそういう事かも知れません。仕事もそのエリアで働いてます!!
凄い!!ナゾが解けた!!ありがとうございます!!
Commented by utoutou at 2020-01-07 06:44
> junさん
那覇港にご縁があるのですね。土地に引き寄せられるようなことってありますよね。私も前回那覇へ行って、あっと思ったのは、小禄金城という地名でした。由来はカニマンかなと…。それから東京へ帰る日、首里から小禄近辺のレンタカー店舗へ返却するために急いでいたのですが、真珠道になるべく沿ったルートを走れば早いことを知りました。30分で着きましたから。首里と那覇港は決して遠くないです(笑)。
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