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天孫氏は火の一族〈1〉

2020年、今年もよろしくお願いいたします。
年明け初回の本日より、新シリーズを始めます。

昨年まで、本土各地の聖地や神社を訪ね歩き、
アマミキヨが北上したという仮説に立って痕跡を
探ってきましたが、今年はまず原点に戻ります。
2巡目の追跡アマミキヨは、火の神(ひぬかん)のお話から。

★★★

年末のあるとき、語り部がアマミキヨに
 まつわる大切なことを思い出させてくれた。
  
アマミキヨのつくった聖なる七御嶽には、
それぞれに火の神(ひぬかん)…「太陽・月・星」
を祀る磐座があり、さらにそれら七御嶽は、
何かしらのレイラインで繋がっているのだという…。

何年か前に聞いたのだったが、失念していた。
琉球第一の御嶽である斎場御嶽と、
首里城の首里森御嶽・真玉森御嶽も、ゆえに冬至
 の日の出ラインで繋がっているという奇跡的な関係。

「ということは、京の内には本来もう1ヶ所、
星を祀る御嶽があったはずだと思います」とも。

京の内で太陽・月・星を祀る火の神は、
御三物(おみつもん、おみちもん)とも呼ばれた。
 そして、その磐座は斎場御嶽の三庫理にもあった。
(ちなみに、斎場御嶽の奥にそびえるナーワンダーグスク
の火の神についてのブログは、こちら

「数十年前までは三庫理の上に登ることができた。
 火の神を祀るからこそ、首里と一対だったわけです」


斎場御嶽・三庫理。珍しく無人だったときの1枚。
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三庫理の中、石香炉の前から磐庫を見上げる。
いつからか、このアングルの1枚を必ず撮るようになった。
ほとんどの人は反対側で久高島を遥拝しているが、
聞得大君や神女の神女が礼拝したのは、こちらという。
王朝時代の金の勾玉が出たのも、この磐座の下だった。
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さて、では、最初に首里の火の神こと首里森御嶽と
真玉森御嶽を祀り崇めたのは、いったい誰だったのか?
つまり嶽々のレイラインを繋ぎ、祈った古代人とは?

年末最後のブログで、縄文後期の織名原遺跡に
ついて書いた後、語り部は言ったものだった。
「その頃、織名にいたのは首里天孫氏ではないか…」

後に「首里天孫氏」と呼ばれることになる人々は、
伝承では、アマミキヨの末裔となっている。
その始祖神が降臨してから1万7千802年続いたと
伝える琉球王朝の歴史を、いま非常にリアルに感じる。


琉球国の迎賓館だった織名宮のある織名は、
首里城の南から金城石畳道を下りて数㎞の先に位置する。
そこから首里の二大御嶽は、どう見えていたのだろう?
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by utoutou | 2020-01-08 15:09 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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