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天孫氏は火の一族〈5〉隼人の女神

隼人族は記紀の語る熊襲。元々はアタ族という。
沖縄には「アッチャー(渡る人)」という方言があり、
「海アッチャー」「島アッチャー」「唐アッチャー」
などと言うが、ひょっとするとアタ族が語源か…??

やはり気になるのは、アタ族が海を渡ったコース。
長江の南・江南にいた「閩越(びんえつ)」の民は、
武帝の漢に追いやられ、漂流民となった末に、
閩(福建省)から船出して、薩摩半島に着いた。

アタ族が、後に「阿多隼人」となる産鉄海人族
だったという説を前回紹介したが、しばし「鉄」の
話を横に置き、アタ族(閩越の民)の本拠地だった
 閩江に近い都市・福州について、書いておきたい。


というのは、
 現在の福州市は那覇市の友好都市となっている。
(↓地図は那覇市HPから拝借)。福州はおそらく
沖縄本島にいちばん近い大陸の港で、14世紀以降、
 琉球から中国に朝貢するときの拠点となっており、
 専用の施設である琉球館を置いていた時代もあった。

それもそのはずで、察度の時代に明の国から来沖、
「久米三十六姓」として活躍したのは閩人である。


千年以上の時を経ているので、閩越の民と閩人の
関係は不明だが、ともあれ閩の福州は名だたる良港
で、そこを拠点とした閩人は優れた海洋民だった。
(マルコ・ポーロがイタリアから黄金の国ジパング
 に来たとき、閩人の船に乗っていたという説がある)
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「九面里に江南人の家あり」と琉球國圖(15世紀)は記す。 
その久米の里の人々が崇めていた女神は ↓天妃だ。
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もともと ↑ 天妃宮は久米村にあったというが、
現在は若狭の天尊廟に合祀されている。'17年撮影。
 琉球王朝の名宰・蔡温や文人・程順則も久米の出身。
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さて、天妃とは、福建の母・媽祖(まそ)である。
別名は、娘媽(ろうま、にゃんま、のうま)とも。
日本では主に「にゃんま」と呼ばれてきたらしい。

娘媽(にゃんま)は隼人(アタ族)の崇めた神だ。
薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』(1843年)の
27巻、薩摩国河邉郡「野間岳」の項に、解説がある。
(以下要約)

☆往古は笠砂岳と呼ぶ。山上に娘媽神女を祀る。
☆山上には娘媽神社がある。
☆娘媽と音が近いため野間岳という地名になった。

笠砂宮で、皇孫・邇邇芸命と結ばれた木花咲耶姫
(カムアタツヒメ)は、娘媽(航海神、弁天様、
製鉄の女神)を祀る神女。半島から南下してきた
邇邇芸命には大山祗族に婿入りする理由があった。
それは、「北の鉄」と「南の鉄」の融合だった…。


by utoutou | 2020-01-26 20:16 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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