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天孫氏は火の一族〈14〉和邇と隼人

和邇と隼人は同族なのか…?
和邇族のトーテムは鰐。その鰐は倭人の故郷とも
言われる江南地方に生息していたことから、
和邇の故郷は「越」周辺という説がある。いっぽう、
「閩越族」こと隼人もまた、広い意味の江南にいた。
もちろん、どちらにも龍神信仰があったというが…。

〜 沿岸の「古越族」は丸木舟に乗り、太平洋を
まるで池のように駆け回っていた 〜と司馬遼太郎氏は
著書『街道をゆく / 中国・閩のみち』に記している。
日本列島も、彼らが辿り着いた島々だったろうと。

閩(福建省)で婚姻により同族となった可能性も?
などと考えるが、すぐに答えが出るわけもない。


話はちょっと変わるが、実は、
隼人の女神」に関する素朴な疑問を抱いていた。
閩越の民は薩摩半島に渡来してアタ族と呼ばれた。
崇めたのは娘媽(のうま)。航海守護の神だった。

ところが、ヤマト神話に登場するする隼人の神は、
大山祇神、山の神となっている。その娘・木花咲耶姫
(別名カムアタツヒメ)を、天孫・邇邇藝命は娶った。

「海の神」は、なぜ「山の神」に擦り変わったのか?

語り部に意見を聞いてみる。
「和邇・安曇といった海神(人)族は龍神信仰でした。 
大綿津見神(わたつみのかみ、海神)を祖神とした。
閩越の民・隼人も、本来は海神族だったと思います。
しかし、薩摩半島に着き鉱脈を辿って山に入ってから
は、大綿津見神を大山祇神として崇めたと思います」

なるほど、海の神が山の神になったと。
地殻変動による島々の浮沈で、海底も山頂になる。
南方起源の民は、古の記憶を魂に留めていたのか?


さて、その日も大里城址公園(南城市)にいた。
地形的にはカーブが続く坂道を登った高台にある。
標高150mの琉球石灰岩台地にできた大里グスク跡。
東西を軸にして築城されていたようだ。写真正面が北。
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大里城址公園地図。↓「現在地」は城址台地の南端。
東へ行くと、チチンガー(泉)、カニマン御嶽。
カニマン御嶽はなぜ台地南端の崖にあるのだろう。
首里金城の(カニマン)御嶽も、南の崖にあった。
琉球古代の野だたらは、崖の途中に造られていたのか?
だから、鬼餅伝説の兄(鬼)は崖から落ちて死んだ?
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などと考えつつ、城址の東南にある西原集落を歩く。
そして東端に出る。中城湾に視界が開けているはずだ。

対岸に見えるのは、中城湾に突き出した知念半島。
眼下の海を港にできる立地で、大里グスクは栄えた。
そうだった、真正面に見えるのは斎場御嶽だ…。
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同時に、翌日行く予定にしている久高島を思う。

行ったことのない御嶽へ行く。そこからは正面に斎場
御嶽が見えるらしい。もしや、この3点を繋ぐと、
古代琉球にいた海人族のレイラインになるのでは…?



by utoutou | 2020-03-16 15:21 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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