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天孫氏は火の一族〈54〉そして、鹿屋野姫(カヤノヒメ)

伊和都姫は豊受姫で、大山祇神の長女・磐長姫。
また伊和都姫の母神は、大山祇神の妃・鹿屋野姫。

その鹿屋野姫は、当ブログに何度か登場している。

瀬織津姫の不死山』では、大山祇神と鹿屋野姫は
稲作と醸造の技術を携えて渡来した一族の祖神で、
鹿屋野姫(瀬織津姫)は、かぐや姫のモデルと書いた。

コロナで渡航自塾となった今春は、久高島の神女
と連絡を取り合い、御嶽に鹿屋野姫の痕跡を探して

語り部は言った。琉球王朝期においても、
二ライ大主(ウフヌシ)こと太陽神の一対神は、
 カナイ真司(マジカサ)こと月神だったと思うと。
 ニライカナイとは、その一対神のことでもあった。
    

ところで、話は弥生時代の播磨地方に戻って…。
後の播磨国一宮・伊和神社(宍粟市)の祭神・伊和
 大神(大名持神)について、謎めいた伝説がある。

『播磨国風土記』によれば、伊和の本来の地名は、
伊和大神がこの地で酒を醸し終えた故事にちなみ、
神酒(みわ)、あるいは、於和(おわ)だったと。

神酒と言えば、大和国一宮・大神(みわ)神社
の大物主神が「酒の神」でもあったことから、
 伊和大神=大物主神=大山祇神は同神との説もあると。

大物主の一族が、大和地方から播磨に移住したのか?
初めて聞く話。調べて、なんだかちょっと仰天した。

同じ播磨地方に鎮座する日岡神社(加古川市)の
祭神・天伊佐佐比古の亦名は伊波都比古ともいい、
 江戸時代までは「日向明神」とも呼ばれたという。

日向…ひむか…どこかで聞いた神名だ…。

そう言えば、大神神社の坐す三輪山山頂の磐座には、
往古、大物主神の子・日向御子神が祀られていたという。
が、最古の日神は、後の伊勢神宮の創祀で放逐された。

やはり三輪から伊和へ、一族の流れがあったのか?

日岡神社へは、今回の旅で、豪雨のなか参ってみた。
JR姫路駅から加古川駅で乗り換えて、日岡駅へ。
日岡駅から徒歩5分、交通至便だが参詣客はいない。
天孫氏は火の一族〈54〉そして、鹿屋野姫(カヤノヒメ)_a0300530_16381221.jpg






参拝の後、広い境内を振り返って撮影。
こちらにも語り部の言う「神封じ」の〆鳥居が立つ。

そうか…。もしかすると、
この〆縄を張る結界の作り方は、大神神社の「巳さん」
こと大物主神(龍神)を封じる祀り方だったのでは
ないかと一人で考えながら、しばらく佇んでいた。
ちなみに、ここは、ヤマトタケルの生誕地でもある。
天孫氏は火の一族〈54〉そして、鹿屋野姫(カヤノヒメ)_a0300530_16384051.jpg






伊和都姫を祀る神社には、決まって〆鳥居があった。
その父神らしい伊和大神、その兄神らしい伊和都比古
を祀る神社にもあるとは謎だったが、↓ 大神神社と
同じ龍神系の神祀りだった…とすれば納得できる。
天孫氏は火の一族〈54〉そして、鹿屋野姫(カヤノヒメ)_a0300530_17004918.png




鹿野屋姫からは少し話が飛んでしまったが、
私の見立てを、はたして語り部はなんと言うか…?


        


by utoutou | 2020-11-01 11:49 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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