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天孫氏は火の一族〈55〉播磨稲日大郎姫(ヤマトタケルの母)

日岡神社(加古川市)の祭神は、天伊佐佐比古。
由緒によれば、第12代景行天皇の皇后がご懐妊の折、
天伊佐佐比古命の守護で、後にヤマトタケルとなる
皇子ら(双子)を無事に安産されたことにより創祀。

皇后の名は、
播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ、
以後こちらのブログでは「稲日姫」と記す)。社伝
 とは異なるが、天伊佐佐比古は稲日姫の伯父との説も。

古い由緒では、天伊佐佐比古の亦の名は伊波都比古。
日向明神とも呼ばれた時代もあったという。

参拝を終え、日向大明神…ひゅうが…ひむか…と、
ひとり呟きつつ、大神神社(奈良県桜井市)神体山
 の三輪山山頂の高宮(こうのみや)神社を思った。
 
大物主神の子・日向御子神(ひむかのみこがみ)を祀る
 という山頂を目指し「三輪山に登拝」したのは、4年前。
 撮影禁止だったが、その磐座群は目に焼き付いている。

三輪山に祀られる日神こと日向御子神は、しかし、
やがて天照大神への祭祀変更という歴史の流れのなか、
大和神社(過去ログは )や、檜原神社()へと
遷座した(あるいは、させられたと、我々は推理した)。

日神を祀っていた一族とは、神武東征で道案内した、
倭宿禰(六甲山・保久良神社の椎根津彦、珍彦)の末裔。

さて、もう一社・日向大明神と呼ばれた古社がある。
海神社(神戸市垂水区、わたつみじんじゃ)だが、参拝
した昨年、語り部は「日向」の繋がりを言い当てていた。
「海神社、保久良神社、三輪山を祀ったのは同族だ」と。

その海神社から、さらに西へ、一族の流れはあったか?
 というこの度の質問にも、語り部の答えは明快だった。

「はい、流れはあったと思います。その一族は三輪山から
 追いやられたのですから、伊勢(東)方向へは進まない。
西へ西へと移動して、瀬戸内海の内外に、そしてまた
加古川の沿岸へも、移動したのだろうとは思います。
 つまり、もっと古代から、そこには同族が居住していた」


さて、あの日歩いたのは、加古川の東岸に鎮座する
日岡神社(兵庫県加古川市加古川町)だった。
社務所でいただいた地図は、雨で濡れないようにと
 軒下でスマホ撮影したものなので、やや歪んでいる。

中央上部に神社の楼門と本殿と、右に古墳が見える。
天孫氏は火の一族〈55〉播磨稲日大郎姫(ヤマトタケルの母)_a0300530_10290060.png






いま、日岡山には運動グラウンドがあり、春には花見が
 楽しめる市民の憩いの丘だが、一大古墳群があった。

日岡神社の右奥の山頂にあるのが「稲日姫」の墓に
 比定される、前方後円墳の日岡稜(ひおかのみささぎ)。
天孫氏は火の一族〈55〉播磨稲日大郎姫(ヤマトタケルの母)_a0300530_10435509.jpg






本殿前から石畳の坂道を進み、いくつか角を曲がる。
神社の奥宮といった位置感に、姫の存在感を感じる。
神徳は「安産の神」だが、さらに深い神威を感じる。
天孫氏は火の一族〈55〉播磨稲日大郎姫(ヤマトタケルの母)_a0300530_10443699.jpg






正面に日岡稜が見えてきた。播磨の地に生まれ、
景行天皇を妻問いに向かわせた、美貌の姫か。
天孫氏は火の一族〈55〉播磨稲日大郎姫(ヤマトタケルの母)_a0300530_15035767.jpg





拝所も左右が緑に覆われていて、人はいない。
何故か立ち去り難く、ふと手元で緯度を調べてみる。

日岡神社 北緯34度46分50

どこかと比べてみようかと思い、もう1件調べる。

六甲山神社 北緯34度46分50

えっ、まったく同じ緯度。どういうことなのだろう?








by utoutou | 2020-11-06 16:13 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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