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天孫氏は火の一族〈71〉「日知り神」はヒコ

「日知り神(ひじりがみ)」とは…?

〜玉襷 畝傍の山の 橿原の日知りの御代ゆ 生まれしし〜
という柿本人麿の一句から、その神とは神武天皇だ
と書いたが、我ながら完全な解釈とは思えなかった。

数年前に参った↓橿原神宮。初代天皇・神武は、
この地で即位したという。本殿背後に畝傍山が見える
が、橿原飛鳥には、他に持統の藤原京もあったのだ。
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ということで再考した結果、日知り神とは、
海神族の首長=ヒコのことだと考えるに至った。
そして、そのヒコを守護するべく日月星や
森羅万象を祀ったのが、ヒメ神なのだろうとも。

ヒコ(日御子)と、ヒメ(日巫女)。
現代の言葉を用いれば、天照大神と瀬織津姫。
女神である天照大神が、日神に切り替わる持統の
時代まで、列島各地にいた先住民族(海神族)の
ヒコ(リーダー)は、日知り神として民を統率した。

日知り神は、日読み神とも呼ばれたらしい。
東から昇り西に沈む太陽の姿を読んで、日を教え、
半月で変わりゆく月の姿を読んで、月を教え、
夜ごとに移りゆく星の姿を読んで、季節を教えた。

ただし、それはどこかに定住してからの話だ。
稲作の時代、夏至の太陽は種蒔きの時期を教えた。
一陽来復で、冬至の太陽は1年の始まりを教えた。

時代は遡って、この島々に海神族が渡来した頃、
船上で「日読み」するには、羅針盤が必要だった。

語り部は、常々、「太陽を運ぶ船」について
話しているが、いまようやくその意味を理解する。
それは、「太陽と共に航海する船」だったのだろう。

あるいは、海神族が、
月や星を「夜の太陽」と読んだという言い伝えは、
その煌めきが、夜の海を照らす羅針盤だったからだ。


実は先日、「日知り神」「聖神」という言葉を
発したとき、語り部は、あるヒントも口にした。
「3つの太陽、メルカトル、オリエント」と。

 はぁと言いつつ、マタムズカシイコトヲと思った
がw、1週間あれこれ考えて辿り着いた結論は…。

「夏至冬至、春分秋分と、3方向から昇る太陽の
  その真ん中の道を、東へと航海してきた海の民」
 琉球の伝承で言えば、セーナナー(海人七氏族)
のことを、語り部は示唆していたのだろうと。

弥生時代にメルカトル図法の地図はないはずだが、
球形の地球を直進するには、メルカトル式で進む
のが最適だ。春分・秋分の太陽の道(東西軸)に
沿って真っ直ぐに東へと、朝日の元へと遡るのだ。

 尚、オリエントについては今後の課題とした。
語り部は常々海神族は西から来たと言っている。


「太陽の道」北緯34度32分線上にある淡路島東海岸。
この東を進むと大和の三輪山や伊勢斎宮跡がある。
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箸墓(桜井市三輪)も、北緯34度32分の太陽の道
の上にある。もちろん、三輪山もライン上に。
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最近の課題のひとつである、美具久留御魂神社も。

では、この美具久留御魂神社のある真名井原から、
太陽の道上の二上山や三輪山に昇る太陽を崇めた
日知り神とは、いったい誰だったのだろうか?


美具久留御魂神社からの「3つの太陽」イメージ。
夏至と冬至に東西線から30度傾く二上山の日の出。
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by utoutou | 2021-02-10 13:52 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)
Commented by 武部正俊 at 2021-02-10 16:43 x
美具久留御魂神社のことを沢山書いていただき、比較的地元の人間として有り難いです。
美具久留御魂神社と三輪山を繋いだレイラインは、正確に東西ではありませんが、興味深いです。叡福寺の太子廟の真上を通ります。(僕のブログhttp://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/22961140.html参照)
春分・秋分の日の出が、二上山のフタコブの間から出れば面白いのですが、軸線が東西から少しずれていることと、山の高み故、当時の日の出方向ぐらいから出ます。随分前ですが、確かめに行った事があります。
その頃よりずいぶん気が茂ってしまいましたので、階段の上からは二上山が全く見えなくなってしまいました。
国道との交差点辺りに一の鳥居が在り、その北側の三角地が、御旅所のようで、面白いテーブル状の石が在ります。
レイラインは、この石の真上を通ります。(http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/22961140.htmlにも書いています)
かなり重要な神社だと思っていますが、分からないことだらけです。
参考になれば幸いです。
Commented by utoutou at 2021-02-11 12:06
> 武部正俊さん
お久しぶりです。時折ブログにお邪魔するので、お会いしたことがあるような気がしています(^_^)。美具久留御魂神社に関しては、神社へ行った後に、武部さんや地元の方のブログで、桜井交差点に立つ大鳥居や御旅所の存在を知りました^^; もしかすると神社や古墳と同じように、市民会館の東部や北部一帯も重要なのかなと思ったり。つまり石川の河畔に近いほうですね。おっしゃる通り、興味は尽きません。ブログを再読させていただき、その感想をいっそう強く持ちました。
三輪山とのレイラインが叡福寺の太子廟を通るという情報も、有り難うございます。レイライン上の神社仏閣に聖徳太子の名前が頻繁に現れるのは、どんな理由からなのでしょうか。辰砂ではないかと想像していますが、本当にまだ分からないことだらけで。今後ともよろしくお願いします。
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