相撲発祥の地・相撲神社へ参ったのは春爛漫の頃。 あれから3年が経つが、あのときは分からなかった ことをいま思う…。穴師坐兵主神社(桜井市穴師) への参道脇にある境内は広々としており、相撲の 神様の顕彰碑や、銅像や、土俵が点在していた。 ![]() 日本書紀が記す垂仁天皇の「天覧相撲」は、 この地「カタヤケシ」で行われたと説明板に。 勝者は野見宿禰(のみのすくね)で、 敗者は當麻蹴速(たいまのけはや)。 ちなみに前回も書いたように、當麻蹴速とは、 二上山の東麓に位置する葛城当麻村の豪族という。 ![]() 兵主神社の鳥居から西方の稜線が遠望できる。 生駒山〜二上山〜葛城山〜金剛山と連なる山脈。 往古の湖こと奈良盆地を挟んで、約20㎞の距離。 二上山の東麓の当麻村から、當麻蹴速は試合に来た。 野見宿禰は出雲から来た。「三輪山は大和の出雲」 というのが私見なので、いわばこの相撲、奈良盆地 を挟み、東西の代表力士による取り組みだったか。 ![]() 勝った土師氏の祖・野見宿禰は、「都に留まりて 仕えまつる」と日本書紀にあり、「当地に屋敷を 賜わり古代国家草創期における大和朝廷国土開拓 の推進者として貢献」と、↑案内板も記していた。 蹴速の持っていた当麻の地も与えられた、という。 これはある意味、国獲り物語のような決戦だったか。 神社から下ること数分、参道に纏向遺跡がある。 山の辺の道を歩く人々も、ここで足を止めていた。 ![]() 纏向遺跡のイメージ図に二上山(赤丸は加工)が。 改めて見渡すと、こちら「都」と、当麻村のある 「葛城」が、距離を置き対峙する構図が感じられる。 ![]() 近くに垂仁天皇纏向珠城宮跡、景行天皇日代宮跡も。 ![]() 纏向は、言うまでもなくヤマト王権発祥の地。 190年頃に設営され、約160年間「都」だった。 その当初に、「倭国大乱の終焉」「卑弥呼共立」 の時代が重なり、前方後円墳が生まれて、 やがて、古墳時代を招来、時代は繋がっていく。 「天覧相撲」の結果、蹴速の所有地だったという 葛城の当麻村はヤマト王権側の領土となったわけだ。 敗者の「葛城」はそれほど富んだクニだったらしい。
by utoutou
| 2021-05-14 23:13
| 天孫氏
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