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天孫氏は火の一族〈84〉敗者は「葛城」

相撲発祥の地・相撲神社へ参ったのは春爛漫の頃。
あれから3年が経つが、あのときは分からなかった
ことをいま思う…。穴師坐兵主神社(桜井市穴師)
への参道脇にある境内は広々としており、相撲の
神様の顕彰碑や、銅像や、土俵が点在していた。
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日本書紀が記す垂仁天皇の「天覧相撲」は、
この地「カタヤケシ」で行われたと説明板に。

勝者は野見宿禰(のみのすくね)で、
敗者は當麻蹴速(たいまのけはや)。

ちなみに前回も書いたように、當麻蹴速とは、
二上山の東麓に位置する葛城当麻村の豪族という。
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兵主神社の鳥居から西方の稜線が遠望できる。

生駒山〜二上山〜葛城山〜金剛山と連なる山脈。
 往古の湖こと奈良盆地を挟んで、約20㎞の距離。
 
二上山の東麓の当麻村から、當麻蹴速は試合に来た。
野見宿禰は出雲から来た。「三輪山は大和の出雲
というのが私見なので、いわばこの相撲、奈良盆地
を挟み、東西の代表力士による取り組みだったか。
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勝った土師氏の祖・野見宿禰は、「都に留まりて
仕えまつる」と日本書紀にあり、「当地に屋敷を
賜わり古代国家草創期における大和朝廷国土開拓
の推進者として貢献」と、↑案内板も記していた。

 蹴速の持っていた当麻の地も与えられた、という。
これはある意味、国獲り物語のような決戦だったか。


神社から下ること数分、参道に纏向遺跡がある。
山の辺の道を歩く人々も、ここで足を止めていた。
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 纏向遺跡のイメージ図に二上山(赤丸は加工)が。
改めて見渡すと、こちら「都」と、当麻村のある
「葛城」が、距離を置き対峙する構図が感じられる。
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近くに垂仁天皇纏向珠城宮跡、景行天皇日代宮跡も。
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纏向は、言うまでもなくヤマト王権発祥の地。
190年頃に設営され、約160年間「都」だった。
その当初に、「倭国大乱の終焉」「卑弥呼共立」
の時代が重なり、前方後円墳が生まれて、
やがて、古墳時代を招来、時代は繋がっていく。

「天覧相撲」の結果、蹴速の所有地だったという
 葛城の当麻村はヤマト王権側の領土となったわけだ。
 敗者の「葛城」はそれほど富んだクニだったらしい。









by utoutou | 2021-05-14 23:13 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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