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天孫氏は火の一族〈106〉安生寺と役行者と「朱」

安生寺(あんじょうじ、奈良県五條市今井町)
は、宇智神社の神宮寺だったとのことで、
 神社の本殿を背にすると、東(写真右)に隣接。
 現在は隔てる塀もなく、寺社一体になって見える。
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本尊は十一面観音菩薩。またの名は子安観音。
役行者が開基したときは国生寺といったそうだが、
文武天皇・皇后の藤原ノ夫人が祈願したところ、
皇子(後の聖武天皇)を安産。以来、子安観音に。

その聖武天皇・長女の井上内親王も祈願して安産。
喜びの聖武天皇は、七堂伽藍を建立したという。


JR五条駅から乗ったタクシーで「宇智神社へ」と
お願いすると、「いやぁ知らない」と言われたが、
「安生寺」と言えば、すんなり伝わったのだろうか?
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境内には、寺伝を記す案内板が立っていた。
他に、役小角が彫ったという鬼の面の解説も。
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さて、子安観音という寺の呼称を知って、
すぐに大神神社の摂社・若宮神社を連想した。
明治以前は大御輪寺といい、十一面観音が御本尊。

摂社である御誕生所社には大田田根子の母が祀られ、
安産のパワースポットらしいが、深い意味もある。

十一面観音と子安観音と朱産地は一致するようだ。
 丹生(にゅう)が誕生に変化したとの説がある。 
「丹生=誕生」であり、「赤子=朱い石」なのだと。

この地でも、
安生寺の周辺で、「子持ち石」が採れるという。
護寺会HPを拝借して「子持ち石」マップ↓を見る。
西流する吉野川の北側の川沿いに、その産地がある。
3本の川は、水銀鉱床のあった金剛山を源流とする。
子持ち石の「子」とは、朱の石だった可能性がある。
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こちら↓紀の川(吉野川)の地質図
奈良県の水系整備計画サイトから拝借)で、吉野川
を俯瞰すると、五條市は「三波川変成岩類」を示す
茶色の帯の東端に位置する。(※赤矢印は加工です)
 ここで採れる「礫岩」が宇智の「子持ち石」の正体。

ちなみに↓ピンクの領家変成複合岩類の母岩が
 水銀鉱床で、そこに古来の朱産地・宇陀がある。
 「朱の石」が中央構造線の北側だけでなく、南側でも
  採れたなら、金鉱採掘の民がここにいたことになる。
 
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境内に役小角と思しき石像が立っていた。
両脇を固めるのは後鬼・前鬼の夫婦だろうか。
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役小角は、土蜘蛛の子孫だと言われている。
朱を求めて修験道の開祖となったのだとも。

土蜘蛛とは、吉野や葛城や宇智に先住した隼人
 のことかも…と、ようやく考えるようになった。
 おそらく、語り部は既に確信していたのだろう。


by utoutou | 2021-10-21 20:24 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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