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天孫氏は火の一族〈109〉紅葉と「神武の来た道」

紅葉の柿の葉寿司が届いたのは、11月1日だった。
洞川温泉と五條市(旧宇智郡)を旅したのは10月末。
奈良名物・柿の葉寿司の紅葉版は、どの店舗でも
通販が主流ということで、お土産がわりに前もって
いざさ柿の葉すし中谷本舗に、予約注文していた。
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いつもの柿の葉寿司の葉の上から紅葉で包んである。
食後も、紅葉になりきらない初物の色を楽しんだ。
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江戸時代に発祥したという、この「大和吉野名物」
の寿司には、2通りのルーツとルートがあるようだ。

ひとつのルートは、古来、熊野灘の魚を谷や山稜
を徒歩で運搬したサバ街道(東熊野街道)である。
※↓地図は中谷本舗HPより拝借。

もうひとつのルートは、吉野から西流して紀の川の
河口・和歌浦(地図左端)へと材木を運んだ水運。
五條市の柿の葉寿司本舗たなかサイトに解説がある。
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唐突だが、
この2ルートはどちらも、大和宇陀までの
「神武の来た道(東征ルート)だった可能性があると、
五條市に足を運ぶうちに、考えるようになった。

そのルートは、
『日本書紀』では熊野と橿原を繋ぐ東熊野街道を取る。
つまり、熊野から山々を超えて、まず宇陀入りをした。
いっぽう『古事記』では、まず宇智郡に至っている。

神武の一行は「吉野川の河尻(河口)」の阿陀で、
鵜飼の始祖・贄持之子(ニエモツノコ)と出会う。

「吉野川の河尻」とは紀の川との境目を指すという。
『日本書紀』が記すように、もし神武が東熊野街道
を北上して陸路で宇陀入りしていたなら、その西の
 「吉野川の河尻」の「阿陀」を通ることにならない。


そんなわけで、洞川温泉からバスと電車に乗って
五條市に着いてすぐ向かったのは、その「阿陀の
 鵜飼の始祖」の地に坐す阿太比売神社(五條市原町)。


祭神は阿太比売大神(木花咲耶比売)とその子ら、
火須勢理命、火照命(海幸)、火遠理命(山幸)。
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阿太比売神社前に立っていた↓地域MAPを前にした
ときには気がつかなかったが、すぐ近くに天磐舟
(赤線はいずれも加工)と記された場所があった。

天磐舟とは、「神武が川で使用した船」と伝わる磐座。
神武は吉野川を遡ったと記す『古事記』に一致する。

また阿陀は、「にえもつ(贄持)の里」とも呼ばれる。
神武がこの地に至ったとき、隼人族は先住していた。
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by utoutou | 2021-11-08 13:23 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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