紅葉の柿の葉寿司が届いたのは、11月1日だった。 洞川温泉と五條市(旧宇智郡)を旅したのは10月末。 奈良名物・柿の葉寿司の紅葉版は、どの店舗でも 通販が主流ということで、お土産がわりに前もって いざさ柿の葉すし中谷本舗に、予約注文していた。 ![]() いつもの柿の葉寿司の葉の上から紅葉で包んである。 食後も、紅葉になりきらない初物の色を楽しんだ。 ![]() 江戸時代に発祥したという、この「大和吉野名物」 の寿司には、2通りのルーツとルートがあるようだ。 ひとつのルートは、古来、熊野灘の魚を谷や山稜 を徒歩で運搬したサバ街道(東熊野街道)である。 ※↓地図は中谷本舗HPより拝借。 もうひとつのルートは、吉野から西流して紀の川の 河口・和歌浦(地図左端)へと材木を運んだ水運。 五條市の柿の葉寿司本舗たなかサイトに解説がある。 ![]() 唐突だが、 この2ルートはどちらも、大和宇陀までの 「神武の来た道(東征ルート)だった可能性があると、 五條市に足を運ぶうちに、考えるようになった。 そのルートは、 『日本書紀』では熊野と橿原を繋ぐ東熊野街道を取る。 つまり、熊野から山々を超えて、まず宇陀入りをした。 いっぽう『古事記』では、まず宇智郡に至っている。 神武の一行は「吉野川の河尻(河口)」の阿陀で、 鵜飼の始祖・贄持之子(ニエモツノコ)と出会う。 「吉野川の河尻」とは紀の川との境目を指すという。 『日本書紀』が記すように、もし神武が東熊野街道 を北上して陸路で宇陀入りしていたなら、その西の 「吉野川の河尻」の「阿陀」を通ることにならない。 そんなわけで、洞川温泉からバスと電車に乗って 五條市に着いてすぐ向かったのは、その「阿陀の 鵜飼の始祖」の地に坐す阿太比売神社(五條市原町)。 祭神は阿太比売大神(木花咲耶比売)とその子ら、 火須勢理命、火照命(海幸)、火遠理命(山幸)。 ![]() 阿太比売神社前に立っていた↓地域MAPを前にした ときには気がつかなかったが、すぐ近くに天磐舟 (赤線はいずれも加工)と記された場所があった。 天磐舟とは、「神武が川で使用した船」と伝わる磐座。 神武は吉野川を遡ったと記す『古事記』に一致する。 また阿陀は、「にえもつ(贄持)の里」とも呼ばれる。 神武がこの地に至ったとき、隼人族は先住していた。 ![]()
by utoutou
| 2021-11-08 13:23
| 天孫氏
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