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天孫氏は火の一族〈115〉甑島の神功皇后

初めて訪れた甑島(鹿児島県薩摩川内市)。
奇岩として有名な下甑島のナポレオン岩を眼下に
見る「前の平展望台」に、旅の2日目のお昼に到着。

上甑島・下甑島へは川内港から高速船とフェリーが航行
しているが、あえて上甑島でレンタカーを借り南下した。
甑島大橋が開通して三島縦断(37㎞)が可能になった。
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展望台から左方向には、瀬瀬の浦とその集落が見える。
写真中央、川が直線になったあたりに神社があると、
甑島の旅行ガイドさんが、指を差して教えてくれた。
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こちらが、下甑島に鎮座する大帯姫神社。
江戸時代に編纂された『三国名勝図会』に載る
大多羅姫宮は名を変え、末裔によって護られている。
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『三国名勝図会』では、大多羅姫宮についてこう記す。

〜下甑村 瀬瀬の浦にあり。神功皇后三韓征伐のとき、
当村 大内浦へ軍船を泊繋せらる、よって勧請す
という。大内浦、いま内浦と唱う。
末社 山神社 蛭兒社 以上の二社当社の境内にあり〜

この島で、私の知りたいことは、ただ一点だ。
下甑島に、神功皇后が祀られているのはなぜか?
軍船云々というより、この甑島が故郷なのでは…?

語り部はかねてから言っている。
「竹内宿禰と神宮皇后こと息長帯姫は、琉球なら
ウミキ・ウミナイの関係だ」と。つまりふたりは同族、
『住吉大社神代記』による「夫婦説」とも一致する。
(過去ログはこちら

 歴史は神功を仲哀天皇の妃、応神天皇の母としたが、
一説には、南九州でいまも祀られ崇められている
隼人の首長・弥五郎どんは竹内宿禰のことだとされ、
中央に抗戦した隼人の守護神は神功の妹・桂姫だとも。

さらに久高島の「ウッチ小」と関係すると考えれば、
その一族とは南島と大陸を繋いだ大海で活躍した隼人? 

ところで、
甑島を初めて訪れた印象は「ザ・断崖」の一言に尽きる。
翌日のクルージングで見た甑島西海岸の「鹿島断崖」、
8000年前(白亜紀)の地層・姫浦層群には圧倒された。
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恐竜の化石も発見された、太古の地層からなる島々。
下甑島の西海岸でも、穏やかな浦の筆頭・瀬瀬の浦。
山沿いの砂州に立つ大帯姫神社の宮司さん宅で見た
 のは、なんと明治の一円札になった竹内宿禰の肖像。
しばし、宮司さんの話に耳を傾けた…(つづく)
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by utoutou | 2021-11-29 15:38 | 天孫氏 | Trackback | Comments(3)
Commented by 雪幸 at 2021-12-02 15:48 x
神功皇后の祖の天御影命はホノススミ尊の孫との説がホツマツタヱに有りました。隼人との関係が気になるところです。
Commented by utoutou at 2021-12-06 07:43
> 雪幸さん
返信遅くなりまして、申し訳ありません。
そうですね。ホツマツタヱを参考にすること、失念していました。ホノススミ尊とは、記紀でいうホスセリのことですよね。先日、語り部さんと「火の三兄弟のうち、もっとも影の薄いホスセリこそが、実在した隼人の祖ではないか」と話していたところです。嬉しいヒントをありがとうございました。
Commented at 2021-12-07 11:37 x
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