人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋

承久の変(1221年)の後より、13代370年に
わたり甑島を島主として統治した小川氏の居城は、
上甑島・里の鶴亀城だったというが、城山から
 見える冬至の夕陽は、どの方角に沈んだろうか?

  甑島の要↓甑大明神あたりだったのではと妄想中。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_07232886.jpg







 小川氏の祖は武蔵国の日奉宗頼といい、太陽祭祀を
 司る部民である日奉部から発したと伝わっている。
そのためか、日奉氏が中世以前に本拠とした現在の
 日野市からは冬至の夕陽が富士山に沈むのが見える。

さて、
甑島小川氏の家紋は日本五大紋の「鷹羽」という。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_15095506.png


今回の九州旅では参る先々で鷹羽の神紋に出会った。
甑島の翌日に行った阿蘇神社(阿蘇市一の宮町)も。
こちら熊本地震で崩壊した楼門は復旧工事中だが…。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_07310432.jpg








拝殿には、白地の幕に凛々しく染め上げられた
「違い鷹羽の神紋」が等間隔で並ぶ。祭神は、
   神武天皇の孫神・建磐龍命(たけいわたつのみこと)。

勇猛果敢な鷹の羽を象った神紋は、阿蘇神社を
崇めた肥後国の武将・菊池氏も用いたという。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_10364740.jpg



 


そして、あの日、
噴火間もない阿蘇外輪山のカルデラ美?に圧倒され、
かつ堪能しつつ、念願だったある神社へと急いだ。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_07332307.jpg







 草部吉見神社(熊本県阿蘇郡高森町)である。
日本三大下り宮という構造には圧倒された。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_07293823.jpg








草部吉見神社の祭神は、神武天皇の第一皇子
  ・日子八井耳命(ひこやいみみのみこと)など。
  拝殿には、藍色に白く染め抜かれた鷹羽の神紋。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_07301288.jpg








神武天皇か日子八井耳命か。躍動的な絵の扁額
 が掛かる拝殿にも「並び鷹羽の神紋」の幕が…。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_11094748.jpg







阿蘇半周の走行距離は約100㎞。熊本空港に近い
益城郡に住む友人の車で移動したが、私は阿蘇山
のスケールをナメていたようで、この上なく壮大。
(地図右上は阿蘇神社、右下が草部吉見神社、
左が益城郡と熊本空港)ちなみに甑島小川氏は、
 甑島だけでなく、南益城郡をも統治したという。
天孫氏は火の一族〈119〉鷹羽の神紋_a0300530_07264692.png



鷹羽の「鷹」は「高」に通じ、一説には高皇産霊命
を崇めた豪族が好んで用いたという。いっぽう、
和弓の矢羽根となる鷹羽は、武力の象徴ともいう。

私的には、日奉小川氏と鷹羽の関係が気になる。
敏達天皇の時代に始まったという日奉部(日祀部)
となったのは、日置氏の流れではなかったろうか?

太陽祭祀とは太陽を射る呪術儀礼だったのではと。
 日置氏は、弓術・日置流の元祖である。
日奉氏が日置氏なら、鷹羽は家紋として相応しい。
 
新年は、琉球と日置氏の関係から探ってみようか。
'21年もご愛読、ありがとうございましたm(_ _)m

by utoutou | 2021-12-28 20:35 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 天孫氏は火の一族〈120〉縄文... 天孫氏は火の一族〈118〉矢房... >>