承久の変(1221年)の後より、13代370年に わたり甑島を島主として統治した小川氏の居城は、 上甑島・里の鶴亀城だったというが、城山から 見える冬至の夕陽は、どの方角に沈んだろうか? 甑島の要↓甑大明神あたりだったのではと妄想中。 小川氏の祖は武蔵国の日奉宗頼といい、太陽祭祀を 司る部民である日奉部から発したと伝わっている。 そのためか、日奉氏が中世以前に本拠とした現在の 日野市からは冬至の夕陽が富士山に沈むのが見える。 さて、 甑島小川氏の家紋は日本五大紋の「鷹羽」という。 今回の九州旅では参る先々で鷹羽の神紋に出会った。 甑島の翌日に行った阿蘇神社(阿蘇市一の宮町)も。 こちら熊本地震で崩壊した楼門は復旧工事中だが…。 勇猛果敢な鷹の羽を象った神紋は、阿蘇神社を 崇めた肥後国の武将・菊池氏も用いたという。 そして、あの日、 噴火間もない阿蘇外輪山のカルデラ美?に圧倒され、 かつ堪能しつつ、念願だったある神社へと急いだ。 草部吉見神社(熊本県阿蘇郡高森町)である。 日本三大下り宮という構造には圧倒された。 拝殿には、藍色に白く染め抜かれた鷹羽の神紋。 神武天皇か日子八井耳命か。躍動的な絵の扁額 が掛かる拝殿にも「並び鷹羽の神紋」の幕が…。 阿蘇半周の走行距離は約100㎞。熊本空港に近い 益城郡に住む友人の車で移動したが、私は阿蘇山 のスケールをナメていたようで、この上なく壮大。 (地図右上は阿蘇神社、右下が草部吉見神社、 左が益城郡と熊本空港)ちなみに甑島小川氏は、 甑島だけでなく、南益城郡をも統治したという。 鷹羽の「鷹」は「高」に通じ、一説には高皇産霊命 を崇めた豪族が好んで用いたという。いっぽう、 和弓の矢羽根となる鷹羽は、武力の象徴ともいう。 私的には、日奉小川氏と鷹羽の関係が気になる。 敏達天皇の時代に始まったという日奉部(日祀部) となったのは、日置氏の流れではなかったろうか? 太陽祭祀とは太陽を射る呪術儀礼だったのではと。 日置氏は、弓術・日置流の元祖である。 日奉氏が日置氏なら、鷹羽は家紋として相応しい。 新年は、琉球と日置氏の関係から探ってみようか。 '21年もご愛読、ありがとうございましたm(_ _)m
by utoutou
| 2021-12-28 20:35
| 天孫氏
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