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天孫氏は火の一族〈121〉日没の太陽神

  お正月明けの沖縄久高島へ。
感染拡大の新波が押し寄せないうちにと駆け足で。
どこを見たいという目的はないが、気が向いた。

宿の自転車を借りて、北のカベール岬へと向かう。
17時17分。岬手前のカベールの植物群落を通過。
クバやアダンやクロツグの森に大ヤドカリもお通り。
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17時23分、岬に到着。日の入り時刻までは30分。
遠景に5.5㎞西の斎場御嶽。春分秋分にはそこに沈む。
思えば、ブログ前回の写真は富士山の日没だったな
などと、誰もいないカベール岬でつらつら思い出す。
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年末に書いていた、太陽信仰を職分とした日祀部の
日奉氏は、武蔵国の府中より西に位置する現在の
東京都日野市を本拠地とした。語り継がれる「理由」
 は、富士山に落ちる冬至の日没を遥拝できる地だから。
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古代…例えば、日奉部・日祀部の置かれた6世紀。
夏至の朝日と同様に冬至の夕日は重要だったらしい。

島の南端にある集落へと戻りながら、ふと思った。
かつて12年に1度行われたイザイホーは、冬至の日
 の日没から始まる祭りだが、普段はどうしていたのか?
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夕食の後、集落でカミンチュに聞いてみた。
「昔、冬至の日の入りを拝む神事はありましたか?」

すると、なんだか図星の答えが返ってきた。
「あると聞いたよ。祭りではないけど拝みはあった」
「あった…どこの御嶽で…?」
「イリーウフヌシの御嶽に石があって、そこで」

なるほど…。あの御嶽の意味がようやく分かった。
東大主(あがりうふぬし)と西大主(いりうふぬし)。
島の西に沈む太陽神の御願(うがん)も重要だった。
太陽は没しなければ、また昇ることはないからだ。


「イリーウフヌシの御嶽」はブログ「太陽神の御嶽
に書いた、島の南西にある「忘れられた御嶽」。

翌朝、帰りの船に乗る前にその海側に降りてみた。
冬至の太陽は本島南部の玉城グスク(写真左方向)
に沈む。なぜならそこに夏至の朝日が射し込むのだ。
天孫氏は火の一族〈121〉日没の太陽神_a0300530_11470440.jpg




日没の太陽神を祀った一族に、日置氏がいる。
かつて語り部が玉城グスクで「日置」と口走った
ことを思い出した。日置氏は琉球に来ていたのか?








by utoutou | 2022-01-16 21:23 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2022-03-08 09:14
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2022-03-10 11:29
> 2924_a31さん
こんにちは。伊敷浜の「御先」石については8年前にブログに書いておりました。

https://mintun.exblog.jp/19320269/

「S51、タツ年」と刻まれているので、1976年の辰年に造られたものだと思います。お祖母さまは、翌年1月(〜3月)生まれを「遅生まれ」として、 2924_a31さんに「辰」と教えておられたのでしょうね。
「御先」の石については、当時、島の人に聞いたところ、字の総意で建てたものではないようなので、個人によるものと思われます。「この浜は古来の聖地」だという信仰をかたちにしたものかと。島ではそのような建立物を見かけることがありますね。良し悪しは別として思いは伝わります。
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