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天孫氏は火の一族〈123〉ヤボサの御嶽

学術的に、琉球列島に恐竜はいなかったと
 されていることは、もちろん私も知っている。
愛読する『地層と化石が語る琉球列島三億年史』
(神谷厚昭・著)にも記されていたのを覚えている。

最終章が「恐竜時代の沖縄」のタイトル。恐竜
が主役だった中生代(6550万年前まで)の地層
について綴られていたが、残念ながらというか、
それは海に堆積した地層なのだという。つまり、
琉球列島に恐竜がいた見込みはなさそうだと。
ただ、可能性はないわけではない、とのことだ。

語り部と話すうち、こんな意見が返ってきた。

「玉城を走る数頭の恐竜を視たときから、そんな
  時代もあったと分かる日が来ると思っています。
大陸から日本列島が別れて日本海や東シナ海
ができたのは、だいたい2000万年ぐらい前
 らしいですね。恐竜が絶滅してから、かなり後。
 ただ琉球と日本が大陸から分かれた時代は異なる」

語り部が視た恐竜が走る風景は、琉球いや地球
 の地殻変動には、未知な部分が多いことの示唆か。


 こちら奥武島〜港川方面に落ちる1月の夕陽。
玉城(現在の国道331号線あたり)からの眺め。
地続きの玉城台地で語り部は恐竜を視たという。
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ところで、甑島と玉城の繋がりについて、
この正月早々に思い出したことがひとつあった。
時代はずっと降るが、アマミキヨ渡来地と伝わる
 名所・ヤハラヅカサ(南城市知念)のことである。
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ヤハラヅカサの石標が海中に立つ新原ビーチの北端。
すぐ陸側は、「藪薩の浦原(やぶさつのうらばる)」
と呼ばれる。その由来について『たまぐすくの民話』
(玉城村教育委員会)に、貴重な一説が載っていた。
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玉城出身で琉球大学名誉教授だった湧上元雄
 さんが、次のように語り継いでいる(要約)。

☆藪札の浦原(藪薩の御嶽ともいう)は、
百名や仲村梁(なかんだかり)の風葬地で、
地元では、古くは「村墓」と呼んでいた。
☆藪薩は、ヤボサ(聖なる藪)の変化だろう。
☆集団としてのアマミキヨの墓と考えられる。
☆ヤブサ、ヤボサとは、九州西海岸の鹿児島から
熊本や壱岐島に存在した屋敷神が祀られる「藪」
と同義か。アマミキヨ族は「藪の神」を崇めた。

「藪薩の浦原(御嶽)」については昨年、南九州に
旅した後、「矢房と藪薩の御嶽」などに書いたが、
「ヤボサ=聖なる藪」については改めて考えるべきか。
時代は最近の(笑)古代、7〜8世紀のことになる。





by utoutou | 2022-01-29 15:58 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2022-03-02 19:07
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2022-03-03 07:06
> coconuts2924さん
おはようございます。舜天からの歴代国王の霊位牌が祀られていたという正廟の内部を拝見したかったですね。
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